道路標識
どうろひょうしき
前史
日本では石柱に簡素な行き先を記した道標や、「下馬」など交通を制限する文言を記した立札が交通標識の起源とされる。
やがて明治31年に日本で初めて自動車が走行されるようになると、道路に関する禁令や法規を木札に記した「制札」が設置されるようになり、「通行止」「牛車止」など8種類が作られた。
「道路標識」登場
その後、大正8年の旧「道路法」をはじめ自動車と道路に関する法整備が進められていき、そうした中で大正11年に「道路警戒標及道路方向標ニ関スル件」が内務省より発令されると、初めて全国的に統一された様式の道路標識が登場、同時に道路標識としての具体的な形が現れるようになった。
警戒標識は赤い三角板の下に長方形の警戒板を設けたものが7種類、案内標識は地名と距離を表示したもの1種類が設置された。
昭和9年、警視庁は交通事故の増加に際し「交通標識統一ニ関スル件」として8種類の標識を定め、これは全国で普及することになる。
太平洋戦争開戦から間もない昭和17年には「道路標識令」発令により案内・警戒・禁止・制限・指導の4項目となり、警戒標識が赤い三角形に警戒すべき事柄を表記しているなどヨーロッパ方式のデザインに改められ、色彩も今日の国連標識に近いものとなった。
戦後の道路標識
昭和20年に終戦を迎えると、GHQにより横文字の標識が設置される。昭和25年には道路標識令の改正により、案内・警戒・禁止・指導・指示の5項目が定められ、占領下の時代を反映してか案内標識は白地に黒字で地名表記にローマ字が併記され(いわゆる白看)、禁止・指導・指示標識は原則として長方形で標識名を日本語と英語を併記してあり、警戒標識は黄色い菱形に黒で文字や図柄が表記されるという現在の様式になった。
昭和35年12月、旧道路標識令は廃止され、それに代わり新道路交通法並びに「道路標識・区画線及び道路標示に関する命令」が制定され、禁止・指導標識が統合され新たに規制標識となり案内・警戒・規制・指示の4項目となった。
現行標識へ
この間、自動車台数の急増により交通量は急激に増大、日本の交通事情をも一変させる事態となる。その上東京オリンピック開催や名神高速道路開通に向け、諸外国からの観光客にも直感的に意味を汲みやすいよう「できるだけ文字を省き記号で表記」「形状で標識の種類を区別しやすくする」といった標識デザインが心がけられた。規制標識は丸型の赤枠に青い矢印や文字又は丸型の青地白い矢印や文字が描かれた国連標識系デザインを主体とし、指示標識は青い正方形に白で絵や文字が描かれたデザインとなった。こうして昭和38年3月に抜本的に改められた現行デザインの標識が制定され、同年7月には名神高速道路供用開始に伴い緑色の案内標識が登場。その後は交通環境の変化に応じて頻繁に標識が追加されていき、多少のデザイン変更も経て現在に至る。