五式戦闘機
ごしきせんとうき
概要
帝国陸軍最後の制式戦闘機。
略称・呼称は五式戦。開発・製造は川崎航空機。
三式戦闘機二型がエンジン未装備(液冷エンジンの生産が遅滞していた為)の「首無し」状態で最高230機ほど工場内外に並ぶという異常事態となったため、三菱重工の空冷エンジン「ハ112-Ⅱ」(百式司偵三型搭載エンジンと同機。別名「金星62型」)に換装したもの。エンジン換装による排気管周りの空力処理についてはドイツのフォッケウルフFw190からヒントを得た。{Fw190は一機のみ日本に輸入されていた。なお、三式戦闘機エンジンなどのお手本となったメッサーシュミットBf109も三機輸入された。いずれも国産機との比較のための試験機として輸入された。}
1945年(皇紀2605年)に制式採用したため五式戦闘機と呼称された。
生産されたのは一型のみで、ターボチャージャー{排気タービン過給機}付きエンジン(「ハ-112Ⅱル」{百式司偵四型搭載エンジンと同機。)を搭載して高高度性能を増した二型を試作したが、ターボチャージャーの不具合や度重なる空襲、さらに1944年に名古屋地区を襲った地震によるエンジン供給ストップと不運が続いて、そのまま終戦を迎えたため3機の試作だけで終わった。
(計画では1945年9月から量産機を生産する予定であったがその一ヶ月前に終戦となった)。
総生産数393機。
性能はそれなりに良かったが{三式戦闘機に比べ330kg軽量化され、エンジンと機体とのバランスが良くなった。ただし速度や高高度性能については三式戦闘機のほうが上だった。}、終戦間際であったことと四式戦闘機の生産を優先したため少数機数となってしまった。{その四式戦闘機もエンジン故障に悩み続けたため五式戦闘機のほうがエンジンの信頼度が高かったが、生産機数が少ないのが惜しかった}