wikiの当該項目の内容を踏まえて記述する。
超大型爆撃機
コンソリデーテッド社は1943年、ヴァルティー社と合併してコンベア社となった。
戦中はB-24やPBY「カタリナ」飛行艇の生産で大忙しとなり、
本格的にその名を知られるのは戦後になってからである。
B-32はB-29に敗れはしたものの、大型機のノウハウは健在だったのだ。
このB-36はB-29以上の航続距離を持つ機体として開発され、
来たるべきソビエトとの戦争で主力を務めるはずだった。
しかし、6基の高性能エンジンをもってしても超大型の機体は重く、
本格生産型のB-36Dからは主翼外側にジェットエンジンを増設している。
このエンジンはB-47のエンジンをそのまま移植したもので、
燃料にガソリンエンジン用燃料を使えるように調整している。
これだけのエンジン(10基!)を搭載しても、なおもパワー不足に悩まされ続けた。
ハイチューンのR-4360エンジンは故障が多く、
その上推進式配置(エンジンとプロペラが後ろ向き)とあって冷却不足から停止が続出した。
当然、購入費用も莫大なものとなり、この巨人機は385機作られた時点で生産を終了した。
(B-60の未完成機を含む)
巨人がこの先生きのこるには
1950年代当時、爆撃といえば第二次世界大戦のような都市爆撃と相場が決まっていた。
当然ながら、B-36もB-17やB-29と同じように使われるものと想定されていたのだ。
しかし戦後の航空技術の発展は目覚ましく、『そのような戦法では生き残れない』と予想された。
B-36の最大速度は685km/hとなっており、これは何も搭載しないときの数字である。
爆弾などを積み込めば当然低下し、戦闘機の迎撃を許すことになる。
当時、1950年初頭の迎撃戦闘機の性能はどうだったのだろうか?
筆頭としてMiG-15が予想されるだろう。
そして、B-36とMiG-15が戦えばどうなるか。
当然ながらB-36はなすすべもなく撃墜されてしまうだろう。
もっと高い空へ。
対策はそれだけだった。
B-36初期では長時間の任務に備えて仮眠室なども設けられていたが、
後期では撤去されて軽量化が図られている。
もちろん高高度飛行の為であり、居住性は無残なまでに低下した。
また、高高度飛行は「迎撃機に対する頼みの綱」である旋回機銃にも問題が大きかった。
あまりの低温に凍り付いてしまい、そもそも射撃できない事例が多発したのだ。
そういうわけで旋回機銃すら降ろし、さらなる高高度へと逃げ場を求めた。
そうして空軍内部でもようやく逃げ場を得ていたB-36だったが、
ジェット戦闘機の性能向上は目覚ましかった。
B-36の速度も大したものでは無く、残るは高度だけ。
その高度すら防御の役に立たないという状況では、空軍に居場所はもう無かった。
1959年、最後のB-36が退役。
最終号機が完成してから10年も経たない最後だった。