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カルネアデスの板の編集履歴

2023-06-08 09:56:05 バージョン

カルネアデスの板

かるねあですのいた

ギリシャ哲学において出題された有名な倫理問題。究極状況における自他に対する生存の選択を問う問題であり、現代法理では「緊急避難」に該当する。

ギリシャの哲学者であるカルネアデスが出したとされる倫理(法律社会益)問題。

ギリシャ哲学の中でも有名な問題のひとつで、極限状況における自他の生存選択を問うている。


問題の内容

自身を含む複数名の乗る船が難破して船は大破。全員が海に投げ出された。自身は命からがら大破した船の残骸である板に捕まり生存の場を確保できた。しかし、自分と同じように船から投げ出された者が自分と同じように板にすがろうとしていた。

しかし板のサイズはあまりに小さく、人ひとりが生存を確保するのが精一杯。二人以上が板にすがれば、板は耐え切れずに共倒れになってしまう。

そこで自分は板にすがろうとした人々を突き落とし見殺しにして一人だけ生存を得た。だが自分は後に見殺しにした人々の遺族たちから殺人の罪で訴えられてしまう。


極限状況下のやむなき事とはいえ人を見殺しにしてしまった自分は、やはり殺人者として死刑にならねばならないのだろうか?


解答例

解答のひとつ(法律・社会利益上の解法)

現時点で広く法範例として国際的に支持されている、1つの模範解答を見てみよう。


人間が生存を求める事は、人がこの世に生を受けてより与えられるべき絶対的な権利である。自己の生存すら危うく他者の生存まで感知できない、正常な判断も危うい極限状況においては自己の生存こそを最優先に考えてしまうのは人間であるならば(あるいは生命が生命として産まれた以上は生半可なことでは決して逆らい得ぬ本能として)咄嗟にとってしまう行動であり、やむかたない事として認められる。


ゆえに「人々を突き落とした自分」は罪に問われない(問われるべきではない)ものとする。

これは現代法理においては「緊急避難」として罪に問われない。(日本では刑法37条)


緊急避難の例外

上述の緊急避難であるが、守った自分の利益と侵害した他者の利益が不均衡な場合は過剰避難として一定の罪に問われる場合がある。カルネアデスの板のように自分の命を守るために他者の命を殺した場合にはまず問われることはないだろうが、例えば自分の財産を守るために他者を傷つけることは許容されないと考えるべきであろう。また補充性の要件というものもある。カルネアデスの板の例に取れば、板の近くに別の掴まれそうな板があるにもかかわらず他者を突き落とす行為は緊急避難とは認められない。なお警察官消防士自衛官など、職業倫理上において他者の命や尊厳を守るべき職業にある者には、これは適用されない。


余談

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、ある意味ではこれと対極にある話と言われる。


時に「カルネアデス」は出題者ではなく溺れて他者を突き飛ばした本人として語られる場合がある。


関連する作品

ギリシャ哲学の有名な話でもあるため、これを題材にしたり、モチーフにしたり、重要用語にしたりする作品も多い。



関連項目

正当防衛 蜘蛛の糸

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