1927年12月25日アメリカ・ロサンゼルス生まれ。本名は藤島メリー泰子。
弟が2人おり、その下の弟(末子)がジャニー喜多川である。
1933年にアメリカから大阪へ移り住むも、間もなく母を亡くし、太平洋戦争が始まると自分と弟2人で和歌山県に疎開していた。
1947年、弟たちとともに再度渡米し、ロサンゼルス・シティー・カレッジを卒業。1957年に帰国した。
1950年代後半、四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にてカウンターバーを開業し、事業家の道を歩み始める。このバーの客だった東京新聞記者で後に作家となる藤島泰輔との間に一女をもうける。この一女が藤島ジュリー景子である。
末弟のジャニー喜多川が1962年6月にジャニーズ事務所を設立するとメリーもバーを閉店して事務所の経理を担当するようになり、フォーリーブスのスタイリストも手がけた。
それから後の2019年にジャニーと死別した事を受け、自身はジャニーズ事務所代表取締役会長、ジュリーが代表取締役社長にそれぞれ就任。
2020年初めには超高齢(就任時点で92歳)と健康問題から引退が囁かれていたが、『絶対に引退しない』と生涯現役を宣言して全否定していた。しかし結局、2020年9月に退任して相談役に退いている。このメリーの退任で、ジャニーズ事務所は名実ともに世代交代が完了することになった。
なお、メリーのすぐ下の弟でジャニーの兄・喜多川真一は1980年代に50代半ばで死去している。生前の彼はエンジニアで、NASAでアポロの設計もしていた科学者と言われているが、これは眉唾である。
2021年8月14日午前7時35分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
享年93。
葬儀・告別式は近親者のみで執り行われた。お別れ会を執り行う予定はないという。