概要
日本の芸能事務所「ジャニーズ事務所」創業者であるジャニー喜多川の姪で、ジャニーの姉であるメリー喜多川の娘。父は小説家の藤島泰輔で、出生時は藤島泰輔の婚外子の立場であったが、その後泰輔とメリーは1972年に結婚している(※泰輔の再婚)。
もともとは子役・女優として、1973年より芸能活動を行っていた。「3年B組金八先生」の第1シリーズにも出演経験がある。
上智大学および早稲田大学卒業後、フジテレビを経て叔父の会社である「ジャニーズ事務所」へ入社。スタイリストとしての活動を経て、レコード・レーベルを取り扱う同事務所の関連会社「ジェイ・ストーム」を2001年に設立する際に社長となり、また「ジャニーズ事務所」の代表取締役副社長も兼任していた。2004年に一般男性と結婚、一女の母でもある。
後述の事情もあり彼女は主に「ジェイ・ストーム」に最初に所属した嵐や、後に飯島三智との折り合いが悪化して管轄を移動した所属タレント達などのプロデュースを手がけていた。
2019年7月、叔父で創業者・初代社長のジャニー喜多川が逝去。代表権を持っていたため法的に問題はなく、人事は弔いが済んでからとし、ジャニーのお別れ会終了後、「ジャニーズ事務所」の新社長に就任した(母は代表権を保持したまま会長となり、1年ほどして退任した)。自身は基本的に会社経営担当で、プロデュースは副社長に就いた滝沢秀明にほぼ任せていた。これは、ジャニー存命時と役割が入れ替わる形となっていた。
しかし、プロデュースと会社経営に関して滝沢氏との衝突が激しくなり、滝沢氏が2022年10月31日に辞職し退所、ジャニーズアイランドの後任に井ノ原快彦が就任したものの、事実上ジュリー氏によるワンマン経営となってしまっていた。
だが、滝沢氏が退所してから間もなく、かつてジャニーズ事務所に所属していた岡本カウアンが生前のジャニー喜多川から性的虐待を受けていたとして海外に大々的に報道。
その結果、国内のみならず海外から多くの批判の嵐を食らう。当初は沈黙を貫くもほとぼりが冷める事は無く、2023年5月14日に世間を騒がせてしまった事への謝罪する動画を公開した。ジュリー社長が女優業引退後に公の場に自身の姿を公開したのはこれが初である。
それからは再発防止チームを編成する等、事件に対処しているが、動画内で叔父の性加害については知らなかったと主張した事や、事件への低迷な姿勢、騒動直前に起きた滝沢英明の退所やKing&Princeのメンバー脱退もあり、この年はジュリー社長への批判は強まるばかりだった。
児童虐待の性加害者だった叔父と、それをメディアにもみ消して来た母の悪事を一人背負う羽目になってしまい、2023年9月に社長を辞任。今後は取締役の一人として被害者救済を最優先に仕事を行っていく。
この騒動の渦中で公表した文章で実母メリーとの確執について公表しており、ジャニーやメリーに批判意見を述べるたびメリーに厳しく怒鳴りつけられ続けてパニック障害を起こしていたことを告白。
このため、主治医の勧めもあり事務所の本社には極力立ち入らず、叔父や母とは基本的に仕事場を共にしなかった。
「ジェイ・ストーム」の設立目的もデビュー後数年間売れ行きが芳しくなくポニーキャニオンからわずか一期で契約を続行できなかった嵐の救済のためでもあったが、彼女と母の不和もあったことが判明した。
また、叔父のジャニー喜多川とはそこまで親しい関係では無かった事も明かしており、顔を合わせれば会話はすれども、深い話をする事はなく、二人きりで食事をした事は一度も無かった。
性加害について知らなかったのも、叔父との気薄な関係が原因だったと思われる。
ある種、彼女もまたジャニーやメリーに人生を狂わされた被害者とも言える。
このためジャニヲタの中でも嵐ファンからは彼女に恩義を感じる声が多数上がった一方で、旧SMAPファンや滝沢秀明ファンとの対立が激化することになっている。
こうして引責辞任したジュリーだが、関連会社の株だけは持ち続けており、これに関してはファンからは「他所の人間に好き放題されない様に手放さないで欲しい」と概ね擁護されている。