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曹奐の編集履歴2023/12/12 08:07:53 版
編集者:タタキ
編集内容:誤記を修正

概要

太祖・曹操の庶子である燕王・曹宇の息子で、もとの名を曹璜という。先代の曹髦が殺害されたため、帝位に即いた。皇帝になってはいるもののこの頃はもう名ばかりであり司馬昭の傀儡状態であった。

265年、司馬昭が死去し司馬炎が晋王を継いだ。同年12月、20歳の曹奐は司馬炎に禅譲し、魏は5代45年で滅亡して晋(西晋)に替わった。司馬懿の弟の司馬孚は退位した曹奐の手を取り、涙を流しつつ、今後も魏の臣下であると述べた。退位後は陳留王に封じられ、鄴に移り住んだ。

八王の乱の最中の302年、早くも西晋が斜陽となる時代の中で57歳で死去した。

余談

魏のラストエンペラーという立ち位置であるが蜀の劉禅、呉の孫皓に比べるとかなり影が薄い…なお先代の曹髦の挙兵の失敗で曹魏は風前の灯当然であったため、これといった逸話も残されていない、そのためか他の創作三国志で彼が登場していないのも珍しくないのが実情である

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劉禅 孫皓←ラストエンペラーつながり

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