陽銘連合会
ようめいれんごうかい
概要
東城会や近江連合に次ぐ国内ナンバー3の座に位置する大組織。どの勢力にも属さず、長年中立を貫いている。
会長の座に就く者は、伝説の極道「来栖猛」を渡世名として名乗る資格を得る。
世界的な造船会社「巌見造船」を始めとする「巌見グループ」は陽銘連合会のフロント企業。
設立の経緯
陽銘連合会誕生のきっかけは、「昭和のフィクサー」と呼ばれる大物政治家・大道寺稔が太平洋戦争の際に独断で巌見造船に大和型戦艦を超える超大和型戦艦の建造を命じたことだった。
軍の了承を得ずに行われた超大和型戦艦の建造は、言ってしまえば戦費の横領だった。
これが露見すれば、大道寺は当然破滅することとなる。
そこで、大道寺は占領軍の武装解除命令を無視して戦艦を隠蔽することを決め、巌見兵三に協力を求めた。
大道寺からの要請を受け隠蔽に加担することを決めた兵三は、戦艦建造に関わった者が秘密を口外することがないよう、当時の巌見造船幹部で構成された相互監視のための組織を設立する。
こうして、陽銘連合会が誕生した。
陽銘連合会本家
歴代会長
- 初代会長:巌見兵三(『6』終盤まで)
陽銘連合会の創設者。
一代で巌見造船を世界有数の大企業を育て上げた敏腕経営者でもある。
桐生一馬一行に「尾道の秘密」を暴かれたことで処分対象となり、大道寺からの依頼を受けた恒雄に指示された小清水に殺害された。
- 二代目会長(仮):巌見恒雄(『6』終盤まで)
兵三の息子で巌見造船の社長。
「陽銘連合会の会長に就任して来栖猛の名を名乗り、裏社会の実力者である父を超える」という目的のために兵三を排除し二代目会長の座に就くが、襲名の場に来た桐生との戦いに敗れ、その後逮捕された。
- 二代目会長:小清水寛治(『6』エピローグから)
陽銘連合会の本家若頭。
兵三が死亡し、跡を継ぐ筈の恒雄も逮捕されたことで本家若頭だった小清水が就任した。また、巌見グループの会長職にも就任したと思われる(陽銘連合会会長と巌見グループ会長は同義であるため)。
若頭
- 本家若頭:小清水寛治(『6』エピローグまで)
直系団体小清水組の組長。
後に二代目会長に就任した。