ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

武士道とは死ぬ事と見つけたりの編集履歴

2024-04-30 08:52:43 バージョン

武士道とは死ぬ事と見つけたり

ぶしどうとはしぬこととみつけたり

『葉隠』に記載の一文句。

山本常朝の著「葉隠」の台詞。聞書第一の章に記載されている。

「武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり」


概要

葉隠自体は当時の武士道を論じた書としては異質なもので、これが武士道の本質であると一概に言えるわけではない。実際江戸時代に普及したものでもない。

戦時中には神風特攻隊の正当化の為に利用され、この一句は戦後に悪名を買ったが、

昭和42年(1967)9月に三島さんは『葉隠入門』を光文社ら出版し、ベストセラーになった。難解と言われていた「葉隠」を三島流で解説、多くの人が気軽に手にしたことで『葉隠入門』で日本中に葉隠ブームが巻き起こった。


山本常朝『葉隠」


武士道の本質は、死ぬことだと知った(武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。)

生死の二極においては、早く死ぬ方を選ぶということにすぎない。余計な事は考えず進むのだ。

「事を貫徹できず死ぬなら犬死だ」等というのは、上方風の思いあがった打算的武士道に過ぎない。

二者一択に迫られば、どちらに進めば事に当たれるかどうか等、わかる余裕はない


誰だって生きる方が好きだ。大方、生きることに理屈を付けようとする。

もし事に当たれずに生き永らえば、腰抜けと誹りを受けるだろう。ここら辺が難しい。

事に当たれず死に絶えたなら、犬死だ、気狂いだと謗らようと、恥にはならず。

それこそ、武士道の丈夫だ。

毎朝毎夕日々日々死を覚悟し、死身になれば、武士道を会得し、

一生誤ることもなく、武士としての奉公を果たせるだろう。


関連タグ

新渡戸稲造

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました