概要
日本で作られていた大型金貨で量産されたものとしては世界最大級である。
元々、日本、特に東日本では砂金や砂金を溶かした碁石金の目方を計って恩賞や大口取引に使っていたのだが、中に混ぜ物がされていない証として圧延し、豊臣秀吉によって京目十両=44匁(=167g)に規格化されたものが大判である。
特徴としては製造責任者の名前が墨書されている点であり、高額過ぎる事も合さり、此れでは一般流通用には不便、と考えた徳川家康によって刻印式の中型金貨である小判や鋳造式の小型金貨である一分判が一般流通用に規格化・発注された。
大判は最末期の万延大判を除くと、概ね金7:銀3の合金に2~3%程の銅を混ぜて色を引き立てた地金で作られている。
量産品では有るが、流通用と言うよりも恩賞・贈呈用に作られており、製造数は小判や一分判より遥かに少ない。
万延大判以外で現代において最も安価で入手し易い享保大判を例にとると、大判の製造枚数が8500枚に対して、同時期の享保小判は414万枚、一分判は1656万枚製造されており、その製造数の少なさが分かる。
また、「拾両」と表記されているが、小判や一分判の十両が金額を現しているのに対して、大判の「十両」は合金としての地金重量を表記しており、実際の公定価格は享保大判1枚が享保小判&一分判7両2分と含有純金量にほぼ比例する数値に規定されていた。
ただし、恩賞としての記念品的性質やプレミア価格も合さって、実際の相場はもう少し高かった。
現代ではその希少性も相まって価格が爆上がりし、2024年5月の時点では金価格1万3000円/g、美品(Very Fine)相当の享保一分判(含有純金量3.8g)が7万円、享保小判(含有純金量15.2g)が70万円前後なのに対して、オリジナルの墨書が残っている享保大判は含有純金量が111g程度にも拘らず、500万円から700万円の価格で販売されている。
秀吉が製造した天正菱大判に至っては一枚が一億円以上の価格で取引されている。
大判は元々製造数が少ない上に、享保の改革時にそれ以前の一分判と小判は金貨としての扱いが続き、含有純金量に応じて享保&元文小判・一分判と交換されたのに対して、元禄以前の大判は単なる金塊として扱われる事が決まったので、其れまでに作られていた大判の多くが地金として鋳潰された為である。
「銀大判」として売られている物が有るが、此れは当時の富裕層向けに作られた玩具であり、幕府が発注して製造された貨幣ではない。