TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS AVGVSTVS DOMINVSV ET DEVS
本名 | ティトス・フラウィウス・ドミティアヌス |
スペル | TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS |
皇帝名 | ティトス・フラウェウス・ドミティアヌス・アウグストス・ドミヌス・エト・デウス |
スペル | TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS AVGVSTVS DOMINVSV ET DEVS |
生没 | 51年10月24日 ローマ(イタリア本土)- 96年9月18日 召使による暗殺(記録抹殺) |
権力 | 元老院から |
統治 | 81年9月14日 – 96年9月18日(15年) |
概要
11代ローマ元首 厳罰主義者暴虐君として記録抹殺された。
ティトゥスの共同元首としてしられるが、ティトスと違い英才教育は受けさせてもらえなかったせいか、かなり正確に問題があったと言われている。歪んでいたのである。
元首ティトゥスが急死すると急遽ローマ元首に即位した。
無慈悲うえ不誠実
潔癖な政治を志したせいか不正を許さぬ統治をしたようだ。しかも自身の個人的感情から罰することが多かった。治世の末期は暴虐をもって伝えられるようになった。ローマ本国に無慈悲な法を強制発布し、ローマ市民から言論の自由を奪った。元老議員や騎兵階級のものをたびたび告発しては死刑にした。貴族階級に公然と敵意を示し、セナートスの決議をしばしば無効にした
しかも自分に対してはかなり甘い性格であり最悪だとされていた。
ホモは許さぬぞ
特にドミティアヌスはローマの綱紀粛正のため男娼や娼婦に対し処刑を含む程の厳罰をくれたのに対し、彼自身の性欲も半端なかったそうで男にも女にも手を出していたと言われている。しかも同性愛者を大量に粛清したのは個人的嫌悪であった
拷問好き
ドミティアヌスは拷問が好きだったようで、男娼や娼婦への残虐な拷問をいくつも思いついたとされる。特に陰部に燃えた木杭を突き刺す処刑や、陰部を火であぶり続けると言ったものである。
政治はできる
しかし彼はローマ帝国軍を優遇し政治手腕も無慈悲ではあるが有能であったようで、不正を許さぬ態度は方面軍や属州民からの支持は高かったが、ローマ市民には生き苦しい時代だったようだ。
俺は神だ!!跪け
治世の末期ドミティアヌスは現人神(ドミヌス・エト・デウス=主にして神の意)と公言し、崇拝を強要するにいたった。神となった自分の石像を作らせ、側近や議員に『俺は神だ!!跪け』と言って回り跪ずかないものを、次々と罰した。これにはローマ市民・セナートス(元老院)の逆鱗に触れたようで暗殺計画がありめぐるようになっていった。
そして96年にドミティアヌス数々の身勝手な法律の報いをうけて、計画どうり配下の奴隷と議員により惨殺された。記録抹殺享年45歳