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ヴィム・ヴェンダースの編集履歴

2012-11-07 09:41:35 バージョン

ヴィム・ヴェンダース

ゔぃむゔぇんだーす

ヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders) は、ドイツ出身の映画監督。

概要

1945年8月14日、ドイツ・デュッセルドルフに生まれる。

ミュンヘン大学の卒業製作で『都会の夏』を発表した後、ニコラス・レイのアシスタントを務めながら製作した『ゴールキーパーの不安』(1972年)が初の劇場用映画となった。

『都会のアリス』(1974年)『まわり道』(1975年)『さすらい』(1976年)のロードムービー三部作で評価を確立した。

その作風はアメリカ文化の大きな影響を受けている。アメリカ向けに作った『アメリカの友人』(1977年)がフランシス・フォード・コッポラの目に留まり、1982年『ハメット』でハリウッドデビュー。ただしこれは失敗し、国際的評価を得たのは次回作の『パリ、テキサス』(1984年)から。

1987年の『ベルリン・天使の詩』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。

同作は「すべてのかつての天使、特に安二郎、フランソワ、アンドレイに捧ぐ」という言葉で締めくくられているが、これは小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーの三名である。


作品

『都市の夏』1970年

『ゴールキーパーの不安』1972年

『緋文字』1973年

『都会のアリス』1974年

『まわり道』1975年

『さすらい』1976年

『アメリカの友人』1977年

『ニックス・ムービー/水上の稲妻』1980年

『ことの次第』1981年

『ハメット』1982年

『パリ、テキサス』1984年

『東京画』1985年

ベルリン・天使の詩』1987年

『都市とモードのビデオノート』1989年

『アリーシャと熊とストーンリング』1992年

『夢の涯てまでも』1992年

『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』1993年

『愛のめぐりあい』1995年

『リスボン物語』1995年

『ベルリンのリュミエール』1996年

『エンド・オブ・バイオレンス』1997年

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』1999年

『ミリオンダラー・ホテル』2000年

『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』2002年

『ソウル・オブ・マン』2003年

『ランド・オブ・プレンティ』2004年

『アメリカ、家族のいる風景』2005年

『それぞれのシネマ』「平和の中の戦争」2007年

『パレルモ・シューティング』2008年

『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』2011年


関連タグ

映画監督

小津安二郎


外部リンク

Welcome to the OFFICIAL SITE of WIM WENDERS - 公式サイト(英語)

ヴィム・ヴェンダース - Wikipedia

ヴィム・ヴェンダースとは (ヴィムヴェンダースとは) - ニコニコ大百科

ヴィム・ヴェンダースとは - はてなキーワード

ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders) のプロフィール - allcinema

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