ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

島田洋七の編集履歴

2012-11-26 15:34:03 バージョン

島田洋七

しまだようしち

日本のお笑い芸人

1950年2月10日生まれ、広島県出身、佐賀県育ち

日本のテレビタレント漫才師作家


2歳の時原爆症で父を亡くす、8歳から15歳まで佐賀県に住む祖母もとで過ごし、それを綴った「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーとなる(ちなみに、洋七の語るばあちゃんの話があまりにも面白いので、これを本にしろと言ったのはビートたけしである。)

その後、広島県の広陵高校に進学

島田洋八とともにB&Bを結成しもみじまんじゅうのネタで一世を風靡

現在は佐賀県在住である。


ビートたけしとは漫才ブームのときに知り合い、それ以降生涯にわたる友情を結んでいる。

たけし曰く「漫才では全盛期のB&Bに敵わない」「洋七から漫才を取ったら、変態、ウソツキ、詐欺師などしか残らない。でもギセー者はみんな笑って許してやる男です」と彼の芸人としての才能を評している。

また、ホラ吹きとして有名で、たけしがしょっちゅうネタにしている。代表的なものに、

母親を京都に連れていって、コイのエサ100円という看板を見た母親が、池に100円玉を投げ込んでいた

ホエールウォッチングに行って、(たけし「この時点でウソだろ」)ガイドがホエール!というたびにアオーン!と吠えてしまった

沖縄では、みんなトビウオを頭に突き刺して歩いている」などがある。

実際に彼の話を聞くさいは、まず疑おう。


『がばいばあちゃん』シリーズのヒットに対してたけしは、「ちきしょう、洋七はばあちゃんというすごい武器を持っていやがった」「次はがばいじいちゃん、がばいとうちゃん、がばいポチとかで売り出す気だ」など、彼なりの愛情表現をしている。

B&Bの漫才を見て、洋七の師匠に弟子入りを志願したのが島田紳助である。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました