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ブラックビスケッツの編集履歴

2012-11-28 20:42:55 バージョン

ブラックビスケッツ

ぶらっくびすけっつ

お前ら、みんな不健康にしてたかぁ!? エー、コラァ!!

ビビアン・スー、南々見狂也(ウッチャンナンチャン南原清隆、ちなみに、プロレスラー蝶野のパロディ)、天山ひろゆき(キャイーン天野ひろゆき、プロレスラー天山のパロディ)、そしてケディ・ティン(中国・上海出身)を途中から含めた、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた音楽ユニット。ちなみに、南々見狂也は南々見一也の双子の兄という設定。額のほくろが赤い。また、南々見はブラジル・サンパウロ出身という設定(なぜか、Timingのときは、イタリア・ジェノバ出身になっていた。なにがあったんだ!?)。

最初は特撮番組のように、1997年に、「ポケットビスケッツの邪魔者」として登場した(もちろんネタなのだが、この頃は本気にした視聴者から苦情が殺到したらしい)のだが、音楽活動でヒット、ポケビと共に紅白歌合戦に出演した。

5万円の木彫りブラビ像を完売しないとデビューできないなど、ポケビ同様、相変わらず歌手活動とはまったく関係ない活動でCDのリリースが決められ、そのたびにビビアンが「台湾に帰る」と泣いていた。ちなみに、台湾の方が日本よりデビューが早い。

また、ポケビとの対決で、「My Diamond」を制して「Timing」をリリース、ダブルミリオンを達成した

ビビアンが日本で名前が売れたのはブラビがきっかけで、彼女はこの思い出をとても大切にしている。

南々見の口癖「エー、コラァ!!」(格闘技好きの南原らしいネタである)も結構流行った。

普段はブラビ荘なる民家で4人暮らしているという設定。


計4枚のシングルをリリースしたが、4枚目の「Bye-Bye」が発売から2ヶ月で73万枚売上行かなければ、南々見とケディは脱退するという公約に基づき、ミリオン行かなかったがために二人は脱退(当時ちょうどCDバブルの時代に終わりが来ていた。また、アルバム「LIFE」発売とほぼ同時期だったこともある。しかし、2ヶ月で41.8万枚を売り上げ、決してヒットしなかったわけではない)。

その代わり、インド映画「ナトゥ」を二人が主演で製作(ちなみに、この際、ケディには台湾行の切符、南々見には上述のサンパウロ行の切符が渡されていたが、それを破る形で映画に乗り出す)。後にビビアンと天山も合流し、南々見組を結成する。これは「日本初のインドとの共同制作映画」であった(後にビビアンは台湾の仕事が忙しくなったため、また当時台湾を襲った地震の援助のため、ウリナリを卒業した)。


映画「ナトゥ」はヒットし、舞台化。それにはウリナリファミリーが全員参加(裏方も含め)という豪華使用になった。


2002年のウリナリ最終回で、ポケビが復活した直後に、「奴らが復活したなら俺たちも復活だ、エー、コラァ!!」という南々見の掛け声で集結(ちなみに、南々見組、ブランニュービスケッツも登場)。南々見はちゃんとサックスを演奏したが、ビビアンが歌詞を間違えた。天山はビビアンに「天野クン」と呼ばれていた。ケディは当時、OLとして頑張っていた。南々見が「時は経っていくね、あの娘がOLか……」と呟いた。でも、みんな懐かしくなったのさ!!


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ポケットビスケッツ Tプロデューサー インド映画

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