東海(哨戒機)
とうかい
太平洋戦争中に日本海軍が運用した対潜哨戒機
開発
昭和17年、輸送船の被害増加により航空機による対潜掃討の必要性を痛感した帝国海軍は、九州飛行機に以下の要件で一七試哨戒機の試作を命じた。
1:低速で10時間以上の飛行時間を有する事
2:急降下爆撃が可能な事
昭和18年12月に試作1号機が完成し、テストの結果概ね良好な成績が得られた為、昭和20年1月に東海11型として制式採用された。
だが、海軍による採用を待つ間にも船舶被害は増え続け、もはや一刻の猶予もない状況であったこともあり、制式採用を待たず昭和19年4月に量産と部隊配備が開始されている。
ちなみに、機体の外見がドイツのユンカースJU88に酷似しているが、設計の際に研究用として購入されていた同機が参考にされたので当然ともいえる。
装備
武装は250キロ爆弾2発。勿論通常爆弾ではなく対潜爆弾である。それ以外には自衛武装として7.7mm機銃1挺を操縦席後方に装備した。
また、潜水艦索敵用に電探と磁力探知機を搭載したがエンジンが非力だった為(長距離飛行を行なうので馬力よりも燃費を重視した)どちらかしか積むことが出来なかった。
運用
最初に東海が配備された部隊は佐伯海軍航空隊で、その後901航空隊、903航空隊といった対潜哨戒を任務とする航空隊が設立され、そこに配備された。
これらの航空隊は海上護衛総司令部の指揮下で船団護衛に従事したが既に日本側が制空権や制海権を喪失していた時期でもあった為大きな被害を出している。