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M29の編集履歴

2012-12-12 23:51:44 バージョン

M29

もでるにじゅうきゅう

アメリカの銃器メーカー、S&W社製の大口径リボルバー。専用弾薬・44マグナムと共に、「ハイパワーハンドガン」の代名詞として知られる。

概要

 1956年にスミス&ウェッソン(S&W)社から発売された拳銃で44マグナム弾を使用する。当時「最強の拳銃」と謳われ、実際当時において44マグナム弾は最強の拳銃弾であった(44マグナム弾はそれ以前に「最強」の座にあった357マグナムをその座から引きずりおろす形でM29と共に登場している、このため登場当初は文字通り最強の銃である)。


歴史

 1953年、当時のS&Wの社長、カール・ヘルストロムは高名なハンターにしてガンライターでもあったエルマー・キース(1899~1984)からある依頼を受けた。それは、「新しく考案したハイパワーカートリッジを使用するヘヴィデューティなハンティング用リボルバーを作ってほしい」というものであった。これを受け1955年にはキース考案の新カートリッジ・44マグナム仕様にコンバートされた44ハンドエジェクターベースのプロトタイプが完成し、翌年S&Wはこのハイパワーハンドガンにプロダクツコード《M29》を与え製造・販売を開始した。

 かくして鳴り物入りで登場したM29だが、当初売れ行きは不調であった。その理由は皮肉なことに「威力がありすぎる」というものだった。44マグナムの激烈なパワーは同時に強烈な反動も生み出し、手を傷つけずに射撃するのは困難ということで《ブラッディ・ハンド》なるあだ名までつけられる始末だった。ただし、本来想定されていたユーザーであるハンターからはおおむねよい評価を受けていたのも事実である。彼らは「グリズリーなどの大型獣を確実に足止めできる唯一のハンドガン」としてM29に信頼を寄せるようになった。

 とはいえ、銃そのものの単価が高いこともあって販売成績は伸び悩んだ。そんなM29の運命が劇的に転換したのは1971年、バイオレンス・アクション映画の巨匠、ドン・シーゲルがメガホンを取ったポリスアクションの金字塔『ダーティハリー』が公開されたときからであった。クリント・イーストウッド演じるサンフランシスコ市警のはみだし刑事、ハリー・キャラハンが劇中で撃ちまくるM29が観客の度肝を抜き、一躍このリボルバーをスターダムに押し上げたのである。

 「I know what you are thinking. Did he fire six shots or only five? Well, to tell the truth, in all the excitement I’ve kind of lost track myself. But since this is a .44Magnum, the most powerful handgun in the world…and would blow your head clean off…you’ve got to ask yourself one question: Do I feel lucky? Well, do ya, punk?(てめえの考えてることは分かってるぜ。おれが6発撃ったか、それともまだ5発か、てことだろ?実を言うとな、おれも夢中になってつい数えるのを忘れちまった。だが、こいつは44マグナムといって世界一ハイパワーな拳銃なんだ。てめえのドタマなんざ一発でぶっ飛ぶぜ。自分に聞いてみな、ツキが残ってるかどうかをよ。さあどうする、チンピラ野郎?)」――この小気味良い啖呵とともにM29と44マグナムはアメリカのみならず、世界中のガンクレイジーをとりこにした。『ダーティハリー』を見た警察官に中にはその武骨なデザインと激烈な威力に魅了され、自腹で購入し携帯していた者もいたという。市場の熱狂ぶりはすさまじく、一時期S&Wでは生産ラインが多すぎる受注に対処できない事態にまで陥った。

 その後、さらに強力なカートリッジを使用するハンドガンが登場したことからM29は「世界最強の拳銃」ではなくなった。しかし、その名は銃器史に残る《レジェンド(伝説)》になっている。


44マグナムについて

 エルマー・キースはアメリカにおける《ガンレジェンド》のひとりであり、高名なハンターにして銃器プロフェッショナル、そして著述家でもあった。キースは1935年、38S&Wスペシャルをベースにケース長を延伸して装薬量を増やし、威力を増したハイパワーカートリッジ《357マグナム》を開発したことでも有名である。いうなれば、彼こそ《マグナムの父》であった。

 キースは長く《ハンドガンによるハンティング》に関心を持っており、357マグナムもそうした彼の長年の研究の成果によるものであった。しかし、キースは満足することなく、さらに強力なマグナムカートリッジの開発に邁進したのである。そんな彼が注目したのが、S&Wモデル44ハンドエジェクターに採用された44S&Wスペシャルであった。

 44スペシャルは元々、1870年代にS&Wがロシア帝国軍向けに製造・供給していたS&W No.3ラッシャン・モデルに採用されていた44ラッシャンをベースに開発されたカートリッジで、1950年代初頭までは357マグナムに次いで強力なハンドガンカートリッジであった。キースはこれをベースに、己が求める《究極のハイパワーハンドガンカートリッジ》を造りだそうとしたのであった。その結果、もとの44スペシャルのマズルエナジーが456ジュールだったのに対し、彼が開発した新しいハイパワーカートリッジはマズルエナジー1405ジュールという桁違いのパワーを発揮するパフォーマンスをひねり出すことに成功したのである。

 早速1954年には銃器・弾薬メーカーの大手であるレミントン社に新型カートリッジの設計図が持ち込まれ製品化された。この新しいハイパワーカートリッジにつけられた商品名が《44マグナム》であった。

 これに関しては皮肉な話がある――当時、まだ新興の銃器メーカーだったスターム・ルガー社は、レミントン社と社屋が隣接していた。レミントン社内で44マグナム開発のための試行錯誤が行われていた頃、スターム・ルガーの社員がレミントンのゴミ処理場から見慣れぬカートリッジケースを見つけ、こっそり拾って持ち帰ってしまったのだ。かくして新カートリッジの情報をつかんだスターム・ルガーは同社が製造・販売する大口径リボルバー、ブラックホークに44マグナム仕様を追加し、1956年には市場に投入してしまったのであった――というものである。実際、レミントンの社員の中にスターム・ルガーと内通していた者がいたとも言われており、この話もあながち根拠のない妄想ではない。

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