愛国丸
あいこくまる
建造から徴用まで
愛国丸は大阪商船(現在の商船三井)がアフリカ東岸線航路用として優秀船舶建造助成施設により建造した報国丸級貨客船3隻のうちの一隻(2番船)で、物資不足の時代にもかかわらず、「京都」と命名されたスイートルームなど世界水準の旅客設備が設けられた。
1938年12月28日起工。1940年4月25日に進水し、1941年8月31日に竣工した。
ただし、愛国丸が旅客を乗せて海を駆けることはなかった。
竣工翌日の1941年9月1日、愛国丸は日本海軍に特設艦船として徴用される。
竣工した時点で船体は商船に一般的な黒色ではなく軍艦色で塗装され、既に徴用される事を前提に工事が進められていた。
ただし、上部構造物は白色の商船色が塗装され、煙突も黒と白の平時塗装が施されており、まるで「薄幸の娘に施した餞の化粧」のようであった。(トップの画像。)
9月5日から10月15日にかけて、特設巡洋艦としての艤装が行われ、ネームシップの報国丸と違って一度も民間船として航海する事なく戦没した。
特設巡洋艦として
1941年10月15日、特設巡洋艦としての工事が完了した愛国丸は、報国丸と第二十四戦隊を編成する。
主砲である15センチ単装砲は戦艦三笠からの転用品だった。太平洋戦争勃発後はシンガポールのペナンを本拠地としてインド洋での通商破壊に従事し、米英の貨物船を撃沈した。
しかし1942年11月11日、ココス島近海でオランダ油槽船オンディナおよび護衛の王室インド海軍コルベットのベンガルと交戦する。ベンガルの反撃を受けた報国丸は水偵の燃料に引火して火災を起こし、やがて魚雷も誘爆して沈没してしまう。
「姉」を失った愛国丸は報国丸の乗組員を救助するとシンガポールへと帰還した。
報国丸の喪失も影響してか、その後インド洋における通商破壊は打ち切られる。
1943年からはニューギニアなどのソロモン方面の部隊や物資輸送に従事したが、1943年10月1日付けで特設巡洋艦のしての任を解かれ、特設運送船へと種別が変更された。
戦没
1944年1月16日、愛国丸は駆逐艦満潮に護衛されて瀬戸内海を出発、横須賀に移動した。
1月24日、エニウェトク環礁へ輸送する兵員と物資を乗せた愛国丸は、横須賀を出発した。 31日午前4時、満潮と駆逐艦白露が護衛中の靖国丸が、アメリカ潜水艦トリガー の雷撃で沈没した。愛国丸は靖国丸の被雷を報告し、報告を受けた満潮は対潜戦闘をおこなったのち、愛国丸の船団に合流した。2月1日、愛国丸船団はトラック島に到着する。
トラック到着後にクェゼリン環礁玉砕の情報が入り、愛国丸の目的地はウォレアイ環礁に変更された。2月17日早朝、水上機母艦秋津洲に横付けして荷役作業を行っていたところ、米機動部隊の空襲が始まった。第一波の攻撃で爆弾が命中して甲板を貫通し、烹炊所で炸裂し火災が発生。やがて空襲警報が解除されて応急修理に取り掛かったが、間もなく第二波の攻撃が始まる。急降下爆撃により船体前方に再び直撃弾を受け、反撃で1機を撃墜したがこの敵機は船橋に衝突して爆発し船長以下幹部乗組員多数が死傷した。火災の鎮火に難航していたところ、積み荷であった魚雷や弾薬、ダイナマイトが誘爆。8時7分、愛国丸は大爆発を起こして前方に傾斜し、3分で轟沈した。この際の写真が今も残されている。乗員のうち12名が戦死し、輸送部隊であった第六十八警備隊の兵員も青山中佐以下425名が戦死した。
現在の愛国丸
1984年、デュブロン島沖の60メートルの海底で愛国丸の船体が発見された。船体は敵機が船橋に激突して爆発したことと、積荷の魚雷や弾薬、ダイナマイトが大爆発を起こしたため、煙突部分より前方が消滅しているが、後部は現在でも原型を留めている。
ただ、昨今の気候変動の影響で船体の傷みが進み、少しずつではあるが形が損なわれつつあるようである。
1994年2月、トラック島空襲から50年が経過した記念として、愛国丸と富士川丸(東洋海運、6,938トン)の甲板上に記念碑が設置された。現在、この記念碑の隣に遺骨の一部が並べられている。
日本政府は2021年10月頃に愛国丸をはじめとするトラック諸島の沈没艦船に残留する遺骨収集の実施を目指すと中日新聞が報じた。その後、厚生労働省は2024年6月24日までに一部の遺骨を収容したことを発表した。
要目
総トン数 | 10,437トン |
純トン数 | 6,126トン |
全長 | 160.8m |
垂線間長 | 152.25m |
全幅 | 20.2m |
喫水 | 12.40m |
全高 | 26.21m(水面から1・4番マスト最上端まで)17.98m(水面から2・3番マスト最上端まで) |
喫水 | 8.8m |
機関 | 三井製B&W式2衝程単働トランク型ディーゼル機関 2基 |
推進器 | 2軸 |
最大出力 | 15,833BHP |
定格出力 | 13,000BHP |
最大速力 | 20.9ノット |
航海速力 | 19.2ノット |
航続距離 | 不明 |
旅客定員 | 1等:48名、特別3等:48名、3等:304名 |
乗組員 | 133名 |
徴用後の武装
- 特設巡洋艦時
主砲 | 安式15cm砲8門(後に三年式14cm砲8門に換装) |
機銃 | 九三式13mm対空機銃連装2基4門(後に九六式25mm連装機銃2基を増備) |
魚雷 | 六年式53cm連装水上発射管2基4門 |
搭載機 | 九四式水上偵察機2機(1機は補用)(後に零式水上偵察機2機(1機は補用)に変更) |
- 特設運送船時
主砲 | 十年式12cm高角砲2門 |
機銃 | 九六式25mm連装機銃4基8門 |