概要
父は立花直次、母は永雲院(筑紫広門の娘)、筑後国柳河藩2代藩主、官位は従四位下、侍従、飛騨守。
経歴
慶長17年(1612年)に誕生、立花宗茂の養子となる、寛永14年(1637年)に当主となる、同年島原の乱に参加し翌年の寛永15年(1638年)に原城の総攻撃をし加わった、同年柳河藩主となる、寛文4年(1664年)に隠居した、延宝3年(1675年)に死去。
長男と次男は早逝、三男・茂虎は側室の子だったため、正室・鍋子(法雲院、伊達忠宗の娘)の子である四男・鑑虎が家督を継いで3代藩主になり、父からの出家勧告を蹴って勘当させられていた茂虎は、兄の不遇に同情した弟・鑑虎によって引き立てられ、立花帯刀家の家祖となった。