立花直次
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たちばななおつぐ
立花直次とは安土桃山時代から江戸時代初期の武将。
元亀3年(1572年)に誕生。兄が立花道雪の婿養子になり高橋家を離れた為、父・紹運の嫡男となり宝満山城を与えられた。
天正14年(1586年)の岩屋城の戦いで紹運が自害し、宝満山城を守っていた直次は島津軍に降伏・開城、自身は母や正室と共に島津氏の捕虜になった。
豊臣秀吉の九州征伐後に秀吉に仕え、筑後三池18000石の領地を得た。
天正20年(1592年)の朝鮮出兵に参加、碧蹄館の戦いでは李如松が率いる明の大軍を突破して、兄・宗茂の軍を敵の包囲網から救い出し、兄から「主膳(主膳正=直次の官位)は大剛の者」と評価された。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは兄と共に西軍についたため領地を失ったが徳川秀忠に仕え慶長19年(1614年)に常陸国筑波郡柿岡5000石の領地が与えられ立花に改姓した。
直次は兄と共に専ら江戸にあって秀忠に近侍し、柿岡には代官を派遣して治めさせていたらしいが、柿岡統治時の記録、遺構ともに残っていないため詳細は分かっていない。
元和3年(1617年)、江戸で死去。享年46歳。
大牟田市鳥塚町にある三笠神社に、父・紹運、母・宋雲尼と共に祭神として祀られている。
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