熊本県出身で、9歳から柔道をはじめ頭角をあらわし高校から上京し国士舘高校、大学と進学。
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2004年に開催されたアテネオリンピックや、2008年に開催された北京オリンピックでは、
それぞれ柔道男子66kg級にて金メダルを獲得し、その後引退し指導者に転向し
九州看護大学へ客員教授として赴任しまだ歴史の浅かった同校の柔道部監督となった。
スキャンダル
しかし、実は彼の酒癖女癖などの悪さは実は知る人ぞ知る事実であったらしく、
北京オリンピック直前に渡瀬恒彦の運転手をボコリ示談で済ませていた事があったが
当時はスター選手だったこともあり大事にはならなかった。
そのせいか金メダリストの実績にもかかわらず指導者として迎えるのも何故か母校の国士舘や
熊本県内の柔道名門校ではなく、柔道部としては新興の学校であった。
そして彼はついにやらかすのである。
2011年11月、赴任して1年も経たない九州看護大学はセクハラ疑惑があったとして彼を解雇。
直後に彼は合宿で部員を引率していったときに未成年部員の飲酒を制止せず挙げ句彼女に
手を出したとして準強姦罪で逮捕されてしまい、金メダリストの威光は地に堕ちた。
本人は裁判で合意の上だったなどと弁解したものの、そもそも妻子ある身で
教え子に手を出すというのが教員としても人としてもアウトなので逮捕以前にクビは当然である。
かくして彼は妻子にも去られ、自らの栄光を汚してしまったのである。
2012年1月10日、全柔連は前年12月27日付で内柴の指導者登録を停止処分にしたと発表、
彼は事実上柔道界からも追放される事になった。