1971年にドラフト3位でヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。1989年に引退するまでチームを引っ張ってきた、「小さな大打者」。
彼の背番号1は引退後「ヤクルトを代表するバッター」が受け継いでいくことになる。
スワローズ出身者として唯一「選手・コーチ・監督」で優勝を経験している人。
2001年セリーグ優勝の際、本来「ファンの皆様、ありがとうございます」というところを緊張のあまり「ファンの皆様、本当にあの〜、あの…、おめでとうございます」とやってしまった。(何故かそれがその年の流行語大賞に選ばれてしまった。)
2001年の胴上げの際に「石井一久」達の「悪ふざけ」で一回転するはめに。そのとき、腰を痛めてしまったらしく退任セレモニーの際の胴上げも当初は固辞していたらしい。
一説ではヒルマン監督の後に「北海道日本ハムファイターズ」の監督にという話が一部地元で盛り上がったがその腰のために断ったという。(未確認情報)