概要
のちの東京ヤクルトスワローズが、1970年~1973年シーズンにかけて使用していた球団名。
「アトムズ」の名称は「鉄腕アトム」にちなむもので、サンケイアトムズの時代から使用されてきた。
球団史
本拠地は引き続き神宮球場を使用。
経営権がヤクルト本社へ完全移行した1970年、5月に4連敗以上を3回記録して最下位転落して以降、11連敗も2回続いたことから別所毅彦監督が解任され、小川善治2軍監督が代行に。が、球団史上最長の16連敗を喫し最下位でシーズンを終えた。なおこの16連敗はセ・リーグ記録にして引き分けを挟まない連敗記録としては日本球界ワーストとなる(引き分けを挟んだ場合のワーストはロッテの18連敗)。シーズン終了後、三原脩が監督へ就任。
1971年はルーキーの若松勉が3割を打ち、後半戦からはレギュラーに定着。チームは前半戦を2位で折り返したが、後半戦以降は負けが込んで最下位でシーズンを終えた。
1972年・1973年は前半戦最下位に転落するも、後半戦以降巻き返し2年連続の4位で終了。三原監督はAクラス入りが出来なかったとして1973年シーズンをもって辞任した。後任は荒川博打撃コーチが昇格。
1972年12月に球団後援会が製作したグッズに「鉄腕アトム」のイラストを用いたことから版権元の虫プロと著作権絡みのトラブルとなり、球団名の改名を検討せざるを得なくなる。翌1973年に一旦ジャガーズが内定し後半からの使用開始を予定していたものの、阪神の二軍が過去に使用していた名称であることなどから見送り。同年虫プロが倒産したこともあり、創設時のスワローズへ球団名を戻す運びとなった。
関連タグ
球団変遷:国鉄スワローズ→サンケイアトムズ→ヤクルトアトムズ→ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ