サンケイアトムズ
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さんけいあとむず
東京ヤクルトスワローズの前身球団の1つ。
現在の「東京ヤクルトスワローズ」の源流のプロ野球球団。1966年~1968年シーズンはこの球団名であった。本記事では、
- 1965年シーズン:「サンケイスワローズ」
- 1966年~1968年シーズン:「サンケイアトムズ」
- 1969年シーズン:「アトムズ」
…の球団史について取り扱う。
本拠地は国鉄時代に引き続き神宮球場。
国鉄から球団譲渡されサンケイスワローズとなったが、金田正一が抜けた穴は大きく初年度の1965年には91敗を喫する。さらにこの年初めて行われたドラフトでは指名した11名中9名に拒否されるという辛酸をなめる。
翌1966年からは、手塚治虫が球団後援会副会長を務めていたということもあり、ペットマークに鉄腕アトムを用いてチーム名をサンケイアトムズと改称する。
なかなかAクラスには上がれず、さらに1969年には経営不振からサンケイ球団の株式の一部をヤクルト本社へ売却。産経新聞社とヤクルト本社の共同経営として球団名を親会社名なしのアトムズとした。この年は5位でフィニッシュ。
翌1970年にはヤクルトが単独経営権を獲得したため、球団名がヤクルトアトムズへ。サンケイ時代はわずか数年で終わった。
なお、球団経営からは撤退したもののフジサンケイグループによるヤクルト球団への業務提携は2021年現在でも行われている。
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