三国志に登場する英雄
字は仲謀。
概要
孫策の最期の時に「武力に関しては俺ほどではないが、国を治める能力に優れている」と評され、後事を託された。
この事から個人的武勇がさほどではないと誤解されがちであるが合肥の戦いでは張遼から「騎射がうまく、背の高い碧眼の将」と評されており、父や兄に比べて著しく武勇が劣っていたわけではないようである。脚は素晴らしく短く、椅子に座っているときと立った時の身長がほとんど変わらなかったらしい。酒乱で、孫権=酒乱と言うイメージがある人もいる。
ただ、軍を動かす事が得意でなかったのは確かなようではあり、前述の合肥の戦いをはじめ魏の領土を脅かそうとするも結局大幅な領土の獲得はならなかった(ただし、彼の名誉のためにいえば孫呉が魏蜀以上に豪族連合の性格が強い国家であった事も一つの原因ではある)。
孫策の遺言どおりに国内の豪族のまとめ役、調整役として高い能力を見せる一方で、魏蜀の間でうまく立ち回ってキャスティングボードを握り続けて三国間に一定の均衡を作り上げた、三国時代の陰の立役者ともいえる人物。
だが、晩年は後継者問題をこじらせてしまい、孫呉の力を削ぐ一因となってしまった。
余談
これだけ書くと晩年は耄碌したものの概ね人格者と思えなくもないのだが、実際のところはかなりはっちゃけた人だったようである。
以下、最大の被害者かつストッパーである張昭さんとのエピソードを列挙する。
はっちゃけろ!孫権さん伝説
・虎狩り中に危うく虎に襲われそうになった孫権さん。長老の張昭さんに「君主が野原を駆けて虎を狩るな!」と叱られたので、以後は装甲を張った馬車から矢を射掛けるようにするようになったそうである。でも、張昭さんが言いたかったのはそういう事じゃないと思うんだ。
・宴会中に酔いつぶれた部下に無理やり酒を飲ませようとし続ける孫権さんを見て、気分を害し帰ろうとする張昭さん。それを呼び止めて理由を聞くと「皆で楽しもうとしてるだけなのになぜ怒るんだ」と発言。案の定、張昭さんに「殷の紂王もそうでしたな」と皮肉を返されて宴会を中止したそうな
・公孫淵が乱を起こした時の事。度々諫言し、彼に助力しないよう進言していた張昭さん。しかし、聞き入れられず完全に拗ねて家に閉じこもってしまった。
張昭さんの進言どおり乱が鎮圧されると、孫権は謝罪に行くが拗ねている張昭さんは家を閉め切って会おうともしない。逆ギレした孫権は彼の家に火をつけ追い出そうとした。が、張昭さんも対抗して家の戸や窓に目張りまではじめる始末。最終的には張昭さんの息子さんたちが間を取り持って解決したそうな。
一番被害を担当した張昭関連の話のみ列挙したが、あくまでこれは氷山の一角である。皆はお年寄りには優しくしようね。
彼のはっちゃけエピソードは張昭相手以外にも色々あるので、調べてみると楽しいかもしれない。