ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

オウム真理教

おうむしんりきょう

麻原彰晃を教祖とする、かつて存在した新興宗教。1990年代に起こした一連の事件は日本を震撼させた。
目次 [非表示]

概要

オウム真理教とは、かつて存在した宗教団体。1987年に麻原彰晃(本名松本智津夫)が設立し、武装化を図ったカルト宗教である。


1995年、都心の地下鉄に毒ガスを撒く前代未聞の無差別テロ事件(地下鉄サリン事件)を起こした。これがきっかけで、以前から数々の非合法活動を行っていたことが露見し、教祖らが逮捕。教団には解散命令が出され、1996年に宗教法人の資格を失った。


教団は宗教法人資格を失った後もしばらく活動を継続したが、2000年に「オウム真理教」の名を使えなくなった後はいくつかの団体が分立し、それぞれが後継団体を名乗って、跡目争いを続けている。

現在、主に活動を続けているのは「Aleph」、「ひかりの輪」、「山田らの集団(正式名称不明)」の三団体。

これらの団体は宗教法人として認められておらず、現在も公安の監視下にある。

教団の歴史

前身は1984年に設立された「オウムの会」で、1987年に「オウム神仙の会」に改称、更に「オウム真理教」に改称し、1989年8月25日に正式に宗教法人として認証された。


「空中浮揚」のトリック写真に代表される奇抜な宣伝や、独特の教義に加え、第一次オカルトブーム世代が成人する時期だったこともあり、良くも悪くもおかしな教団としてカルト的人気を集め、信者を増やしていく。サリン事件を起こすまでには全世界で3~4万人の信者がいたとされる。しかし、その裏では強引な勧誘やお布施によるトラブルが多発し、複数人の犠牲者が出ていた。


知名度と共に批判が強まる中、教祖・麻原彰晃は敵対する勢力への攻撃を行うようになる。1989年11月4日に、信者の脱会について相談を受けていたことがきっかけで、オウム問題に取り組んでいた坂本堤弁護士を危険視し、幹部6人で彼と彼の妻と1歳の長男の家族の3人を全員殺害する事件(坂本弁護士一家殺害事件)を引き起こした。一家の遺体は1995年に発見された。また、TBSのワイドショースタッフが坂本弁護士のインタビュービデオを放送前日夜に、オウム関係者に公開していた事が判明し後に批判されたほか、神奈川県警が労働争議に深く関わっていた坂本弁護士を兼ねてから嫌って怠慢な初動捜査を行ったどころか、記者会見で誹謗中傷ともとれる怪情報を流して社会問題となった。


麻原は世界征服の為に、理系の信者達を使って様々な兵器を開発。1994年6月27日から翌未明にかけて、長野県松本市の住宅街で長野地裁松本支部の官舎を狙って幹部8人が化学兵器「サリン」を散布。8人が死亡。600人が重軽傷を負った(松本サリン事件)。この事件では、警察が第1通報者の男性を聴取した事でマスコミ各社は男性を犯人視する報道を続けた。

結局オウムの犯行と判明したのは地下鉄サリン事件後で、警察やマスコミが謝罪する事態に。


1995年3月20日、東京を走る地下鉄の車両内で通勤時間を狙って「サリン」を散布し死者・負傷者合計約6000人にも及ぶ被害者を出した『地下鉄サリン事件』を起こし、首謀者の松本は世界にその名を広めた(地下鉄を狙った化学兵器による攻撃は世界の事件・戦争史を見ても前例がない)。


現在でも地下鉄をはじめ、鉄道車両で「不審物を見かけたら触らず駅係員にお知らせください」とアナウンスされるのはこの事件がきっかけ。松本サリン事件・地下鉄サリン事件の首謀者であった彼は、1995年5月16日、上九一色村で警察に逮捕され、教団は事実上の摘発となった。そして彼は17の事件で起訴(後にその内の4つは起訴取り下げ、最終的に13の事件で起訴されている)され、一連の事件の首謀者として死刑判決を受けた(刑は2018年7月6日に執行)。


現在

1999年12月29日、同教団の正大師という立場にある最高幹部の上祐史浩が広島刑務所から出所し、教団へ戻る。自らの犯した罪の反省と責任をとるために正大師の地位を教団代表代行の村岡達子に返上したが、後に撤回する。

2000年2月4日、教団は破産し、破産管財人より「オウム真理教」の名称使用を禁止され、事件後より教団代表代行を務めてきた村岡達子を代表として、同教団をベースとした宗教団体「アレフ」を設立する。(2002年に「アーレフ」、更に2008年に「Aleph(アレフ)」と改称)。実質的な後継団体であるため、オウム真理教そのものとして扱われることが多い。

2002年1月30日、上祐史浩が教団の代表となり、麻原彰晃との決別を表明。教団は「麻原隠し路線」を推進していくことになるが、これに松本家(麻原の家族)や多くの信者の反発を招き、後に教団の分裂にまで発展する。

2003年10月、上祐、松本家、正悟師(正大師の一つ下の階級)ら幹部による会議で上祐史浩の修行入り(実質的な軟禁)が決定。教団は正悟師5人による集団指導体制へ移行する。

2004年11月、正悟師の杉浦茂と二ノ宮耕一が軟禁中の上祐に教団運営への復帰を直訴。上祐は解放され、教団運営に復帰する。

その後、上祐は松本家の批判を展開し始めて信者の支持を拡大していき、教団の中でM派(上祐の教団名であるマイトレーヤから)を形成する。

一方で、松本家側も正悟師らとA派(麻原三女の教団名であるアーチャリーから)を形成して反上祐宣伝を展開する。

両派閥の溝は深まるばかりであった。

2006年3月には麻原四女(のちに「松本聡香」のPNで手記を発表)が麻原妻や麻原三女(のちに松本麗華の実名を発表して著述業に就く)の意見に反発して松本家から家出し、正悟師の村岡達子らと接触して松本家の松本家の内幕を告白。これに共鳴した村岡らはA派から中間派に転向する。

2006年5月にはA派とM派は居住区域を分割して会計を独立させることで合意。教団の分裂は決定的なものとなった。


2007年3月に上祐とM派の信者らが脱会。同年5月には上祐を代表とする仏教哲学サークル「ひかりの輪」が設立され、上祐が麻原信仰からの完全な脱却を表明するが、世間からは内部抗争とみなされ、こちらもオウム真理教であるというイメージがついている。

公安調査庁からもオウム真理教上祐派として団体規制法に基づく観察処分対象とされている。


一方、アーレフでは内部対立が続いており、上祐脱会時に上祐が後任の代表として正悟師の中でも比較的上祐と考えが近かった野田成人を指名したが、A派幹部の師(正悟師の一つ下の階級)らはそれを認めなかった。現在では麻原次男を教祖とする二ノ宮・松本知子らAleph主流派と、麻原三女に従う分派(山田らの集団)の間にも対立があるとされる。


2007年7月に正悟師の杉浦茂、杉浦実が教団を脱会。

2008年5月、教団は名称を「Aleph」に変更し、新体制を発足。

2009年3月には野田成人が教団から除名される。

2011年6月に村岡達子が教団を脱会。これによって教団運営に関与する正悟師は二ノ宮耕一のみとなった。


2018年7月6日、麻原彰晃死刑判決を受けていた幹部(早川紀代秀中川智正井上嘉浩新実智光遠藤誠一土谷正実)たち合計7人の死刑が執行され、大きな話題となって公開処刑のようにテレビ特番でも放送された。

残りの死刑判決を受けていた6人の幹部(林泰男、岡崎一明、豊田亨、広瀬健一、端本悟、横山真一)は同年7月26日に執行された。


6人は概ね落ち着いて執行を受け入れたといいい、岡崎は自身の執行が近いということを知って以降は「もう時間がない」と拘置所内で傾倒していた筆ペン水墨画の制作に没頭していたという。


特徴

宗教の概要

『真理教の名前の由来』・・・仏教には自分の中に『真理悟り)』を見つけ、『真理(悟り)』にもとに生活を行うという考えがあるとされ、真理教の真理はそこからの由来と思われる。


東京都に提出した「宗教法人規則認証申請書」においては「主神をシヴァ大神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名麻原彰晃)はじめ、パーリ仏典を基本としてシヴァ大神の意思を教学し実践する者の指導のもとに、古代ヨガ、ヒンズウー教、諸派大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事をおこない、」と記す。阿含経を基礎として位置づけつつ、密教系の要素を持つという点は麻原がかつて所属していた新宗教「阿含宗」と共通する。


仏教やヒンドゥー教のように輪廻転生を信じ、そこに「ノストラダムスの大予言」や「ヒヒイロカネ」など昭和の末から平成前半にかけての「鉄板ネタ」なオカルトネタを混ぜ込んだような世界観を持つ。用語には「キリストのイニシエーション」や「ハルマゲドン」といったキリスト教や聖書に材をとったものもある。典型的な諸宗教混淆系の新興宗教である。釈迦のことを「サキャ神賢」と呼び、麻原は自身をインド神話の最高神の一人シバ(シヴァ)の化身と主張、ヒンドゥー教やチベット仏教において師を意味する「グル」を自称した。麻原自身は伝統宗教の師資相承に属していないが、既存の伝統宗派に莫大な寄付を行い、宗教指導者からリップサービスをもらうことで、「宗教的な正当性」を醸し出すという手法を行った。


オウムの出家制度は財産や土地・家屋の全てまたは大半を布施として寄付させ、信者の退路を断つための役割を果たしていたが、元々出家はシステムとして練り上げられたものではなく、前身のヨガサークル時代に当時の会員が麻原の家に勝手に泊まり込んでいたところから自然発生したものである。

信者の出家生活も証言によって「粗食、長時間修業、寝不足で過酷であった」という否定的意見と「一般社会と比べて責任を求められず、それほど締め付けを受けなかった」という肯定的意見の真っ二つに分かれる。


「空中浮揚」や「ダーキニー」等の強烈さからトンデモ宗教・インチキ宗教の感じが強いが、当初は原始仏教の復興・現代化を目指すところがあり、また麻原も物知りで非常に理屈っぽく、一部のインテリの間でも高評価されていた。日本における仏教が「葬式仏教」と揶揄されるほど形骸化していたことや、聖書を必ず参照するキリスト教圏とは異なり、日本の新興宗教は経典や宗教史などをほとんど知らない神がかり的な教祖が多いため、勤勉な読書家であり、宗教以外の知識にもそれなりに精通した面もある麻原は特殊だった。

少なくともある時点までは真っ当な仏教思想をもとに教義を構築しようという試みは熱心に行われており、信者の中には難解なパーリ語やサンスクリット語を習得し、仏典を翻訳した猛者もいた。その甲斐もあって麻原をはじめとした幹部連中の仏教思想への理解や造形の深さは単なるご都合主義のちゃんぽん宗教の域を超えており、テレビ討論において優位に立つほどのレベルには達していた。


しかし、麻原中心の真理教の運営が進むにつれて、古今東西の宗教全ての言葉を引用し超越した宗教という形をとるようになり、最終的にサリン70トンで資本主義民主主義社会主義共産主義の全てを破壊し政教一致の新世界(国家)を建設するという狂気の宗教と化した。


信者

オウムが勢力を拡大した1990年頃は、1970年代のオカルトブーム・超能力ブーム・ノストラダムスブーム世代の成人期であり、新々宗教が盛り上がっていた時代だった。1980年代頃から各地の大学での宗教勧誘が社会問題化しており、オウム真理教もその一つで、有名大学卒・高学歴の信徒が幹部として活動していたことで知られる。特に理系の多さは驚かれ、事件後は日本の教育の失敗と捉えられた。いち教団でありながらオウム真理教がサリンを製造し得た背景でもある。暇を持て余すが孤独な大学生は時代を問わずカルト宗教過激派思想の草刈場となっており、麻原も多くの大学で講演を行っていた。麻原の理屈っぽさは聡明な学生にはぴったりだった。また、他の宗教団体の教祖が、自らの超能力をひけらかしたり誇示したりするのが大半だったのに対し、麻原は「人は誰でも神秘の力を有している」「誰にでも解脱はできる」「一緒に頑張って解脱しよう」といった親身な口説き文句で若者たちの心を掴んだ。


オウムに入信した者の多くは、一見すると何不自由ない優等生でも、内心では人生や社会にどうしようもない疑問を抱いた純粋な心の若者だった。当時のバブル景気バブル崩壊で金に浮かれた日本に幻滅し、新境地を求めた者もいる。このような点で、最初から暴力革命を前提にしていた赤軍派兵士などとは違っている。単に精神的な救いを求めて麻原にすがりついた結果、歴史に残る残虐な行為をした集団の一員になってしまったということは、本当にいたたまれないことである。

また逮捕されたオウムの幹部の中には、若者特有の性欲の煩悩から解放されたくてオウムに入信したと公言していた者も目立つ。

先述の通り、元死刑囚も含めて高い知能や技術を持った者が多数存在したことから、「彼らの知識が正しく社会に役立っていたら」と同情する声もあったが、「彼らが本当に優秀なら麻原の胡散臭さや教団の怪しさに気付けたはず」「幹部は社会経験の乏しい若者ばかりで、麻原のような詐欺師にまんまと騙された」と厳しい論調を述べる者もいる。また、オウム活動期に教団と接触した関係者の多くが「麻原は喋ってみると意外と『普通の人』だったが、周囲の信者たちは変な人が多かった」と述べている。


麻原の逮捕と教団崩壊の過程で殆どの信者は脱会し、普通の市民へと戻っていったが、一部信者は信仰を保ったまま後継団体で活動を継続している。


宣伝戦略

90年代を生きた人々の脳裏には強く残っているであろう「尊師マーチ」などの楽曲も、専門の教育を受けた信徒らによって制作されている。教団制作のアニメも複数存在し、インターネットで比較的簡単に見ることができる。


既存宗教とも接触をはかり、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマに合計1億もの布施を贈った。ダライ・ラマはオウムが東京都に宗教法人申請を出す際に推薦状を出している。ダライ・ラマと映った麻原の写真などは教団の箔付けに利用された。チベット亡命政府側に麻原を紹介したペマ・ギャルポは紹介後にその本性に気付き、ダライ・ラマ側に彼と関わらないように進言した。


メディア戦略とメディアの対応

事件発覚以前は教団の大衆的イメージは「奇妙でヘンテコな集団」程度のイメージだった。

教団外のメディアにも次々と進出した。坂本弁護士失踪に前後して注目され、当時の捜査では事件と関係無いということに落ち着いたため、滑り込むようにテレビに進出。ビートたけしとんねるずといった超大物と共演したことすらある。


当時のマスメディアの主力だったテレビは、オウムに関しては坂本事件の頃に適当にネタにした後にすっかり忘れていた(また下手に報道するとオウムがスラップ訴訟をするので報道できなかった)のだが、地下鉄サリン事件以降、ワイドショーニュースなどの番組は他の話題を全く取り上げないほどの社会現象となった。教団側も上祐・青山・村井ら教団関係者をテレビに出演させるなどしたため、視聴率を伸ばした。


TBSビデオ問題が発覚すると逆に一種のタブー(禁忌)とされ(現在はビデオ問題すらタブー視されている)、報道は沈静化したが、オウム事件で味をしめたマスコミ各社は、続いて酒鬼薔薇事件や毒カレー事件などの相次ぐ凶悪事件を連日特集。当時BPOといった制御する機関がなかったため、情報番組報道番組の融合により、報道のワイドショー化とメディアスクラムの激化による監視社会化が進んだ(現在でもワイドショーなどの情報番組は報道番組とは違うので、何が悪いというのがテレビ局側の言い分である)。


オウムを取り上げる番組は時折放映されているが、2012年にNHKが『未解決事件』をやるまでオウム内部の事情はあまり取り上げられることがなかった。


こうした見世物としてのオウム報道は事件当事者の思いを無視して広がり、「ああ言えば上祐」は流行語になり、2ヶ月前の阪神・淡路大震災報道に倦んでいた国民を大いに関心を寄せることとなった。この流れからオウム真理教を不謹慎コンテンツとして捉えるオウマーや、上祐史浩の追っかけ「上祐ギャル」などが生まれる。当時から地下鉄サリン事件のゲームや、ダムダムTVによるオウム関係のコラージュ作品が存在し、インターネット時代のflash動画や例のアレコンテンツ(恒心教等)へと繋がって行った。


凶行を止められなかったのか?

「麻原やオウムの凶行をとめられなかったのか?」ということが社会的問題として出てくる事があるが、オウムの信者は超能力が実在すると信じこんでしまうような、ある意味ピュアな人たちであり、麻原に逆らうと超能力で天罰や地獄行きがあると思いこんでいた。

このことからも麻原の意向に背くことは教団内においてあり得ない反逆行為であり、死を意味していたため、信者たちは結局最後まで止めることがかなわなかったのである。

この科学文明の時代に、説明不能な天罰や来世や転生といった概念がまだ生きていた、しかも理系の大学生もいたことは人々を困惑させ、オウム事件解釈を困難なものにしている。


「部下が自分の頭で考えることが許されず破綻した」「高学歴なのに小学生でも分かる常識的行動ができなくなる」という点は、当時乱脈経営などで倒産が相次いでいた日本の企業風土とも似ており、象徴的な出来事だった。


また警察やメディアなど社会の側も、過激派ならまだしも、たかがオカルト宗教団体が生物化学兵器を開発するといったことは全く想定外であった。


サティアン

教団の施設はサティアンと呼ばれる建物で複数構成されていたが、他の新興宗教の宗教らしい建物と異なりこの教団の場合はまるで工場か何かの様な外観をしていた。

これは麻原が宗教的建造物としてあまり拘っていなかったからだとされている。内部も一部を除いて宗教施設らしくなかった事が判明している。

オウムの建物は主に信者をこき使って作らせていたことから、複雑な建築は難しかったことも原因と考えられる。


その後の跡地

かつて本拠地があった旧上九一色村の教団跡地にはとある公園が現在はあるのだが、そこには「慰霊碑」とだけ刻まれた石碑が建立されている。これは地元有志が建てた一連の事件の犠牲者への慰霊碑だという。

かつてこの地に何があったのか、この地で何が起きていたのかはもはや面影もない場所となったが、それすらも石碑に刻めなかった程、凶悪な集団・おぞましい事件だったのである。


サイドビジネス

オウム真理教では、教団全盛期とバブル絶頂期が重なったこともあり、資金集めのためラーメン屋を筆頭に弁当屋、パソコンショップなど様々なサイドビジネスを行っていた。信者は修行という名目のボランティアで勤務していた。

特に、『オウムのお弁当屋さん』は安くてうまいと評判で、岸部四郎を始めとした著名人の常連客が多かった他、店舗所在地が新宿・渋谷に近いこともあり、大企業や官公庁、さらには大手ゼネコンを中心とした工事現場と言った大口顧客も多数抱えていた。

また、パソコンショップ「マハーポーシャ」が販売するブランドのPCも当時は価格破壊的に他より安く、その安さの秘密は信者を修行の名目で組み立てを行わせたからだとされている。つまり人件費がかかっていなかったのだが、それでは法律違反になるので名目上給料を支払い、全額寄付するという形をとっていた。


主な構成員

元死刑囚

いずれも2018年7月に死刑が執行されており、故人。

麻原彰晃/松本智津夫/マハー・グル・アサハラ

教祖。当該項目参照。

新実智光/ミラレパ

古参幹部の一人。

坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件で実行犯を、地下鉄サリン事件では運転手を務めるなど、数多くの殺人もしくは殺人未遂に加担した。

その絶対的な忠誠心と関与した事件の多さから、検察や裁判所をして「最も血生臭い男」「人間的良心の一かけらも見出しえず」「更生を期待することも困難である」「ミニ麻原彰晃」と、この上ない酷評を受けた。

実際に反省する素振りを見せたことがなく、最期まで麻原への帰依を貫き通したまま生涯を閉じた。54歳没。

明るさと残虐さの二面性を持ち、松本サリン事件決行前に放った「これから松本にガス撒きに行きまーす!」という発言は、そのサイコパスぶりを表すものとして有名。オウム内部からは仕事の腕前は悪いと苦言を呈されていた。

早川紀代秀/ティローパ

古参幹部の一人。大阪府立大学大学院を経て、社会人を10年以上務めた後に出家した。

信者殺害や坂本弁護士一家殺害事件に参加した他、細菌兵器の生成、武器の入手にも関わった。

麻原より年上なこともあって、時に麻原を叱責することもあり、一部では「裏のトップ」と呼ばれた(本人は否定している)。

年長者で社会人経験が比較的長かったこともあり、「頭が良い」「仕事が出来る」「麻原からも一目置かれる」「子供の集まりのオウムの中では唯一の大人」という評価が多かった。その反面、殺害された坂本堤からは「あの男は目つきが違う」と警戒されていた。68歳没。

井上嘉浩/アーナンダ

地下鉄サリン事件を含む数々の非合法行為に関与した他、女性にモテたことから多数の信者を獲得し、教団の勢力拡大に一役買った。

裁判では反オウムを演じ、一審で無期懲役となるも、検察控訴。更に信者からの証言により次々とボロが出てしまい、二審では死刑判決になり、覆る事なく結審。

結果的に嘘つきのイメージが定着し、ついには仲間に裏切られる形となった。48歳没。

愚直なまでの信心深さとは裏腹に、炎天下でコンテナに監禁されたり、恋人をレイプされたりと麻原からは何故か不遇な扱いを受けることが多かったとされる。

人物評も「愚直で修業熱心」と「嘘吐きで裏表がある」といった具合に、賛否が真っ二つに分かれたものとなっている。後述の林泰男は「井上君はどうしようもなく人間的で、憎めないところがある」と評した。

遠藤誠一/ジーヴァカ

化学兵器製造のリーダー。麻原への懸命なごますりにより、彼の四女の許婚という地位も得ていた。

ただし、肝心の化学兵器は失敗続きで、結局は部下として取り込んだ土谷(後述)が成功させた。裁判では土谷との対立が明確化し、遠藤は功績を横取りしただけだと糾弾されている。

新実と同じく麻原への帰依を貫き、死刑執行後に遺体は後継団体であるAlephに引き渡された。58歳没。

帯広畜産大学卒だが、教団内では北海道大学卒と学歴詐称していた。

人物評も毀誉褒貶が激しいが、中学時代までの知人は概ね「負けず嫌いで努力家の優等生」と肯定的で、オウムの関係者や裁判・勾留等の関係者は「少年っぽい」「無能」という旨を証言している。

土谷正実/クシティガルバ

遠藤の部下。筑波大学卒。学生時代から化学が大好きで、その豊富な知識をもとに独学でサリンの生成方法を確立した。

彼が居なければオウムのテロ事件は起こりえなかったと言われるキーパーソンであり、直接的な実行犯ではないものの重責を問われ、死刑判決となった。

逮捕後も長らく麻原への帰依を貫いたが、裁判で詐病を続ける姿に幻滅し、後に洗脳が解け反省と後悔を示すようになる。

良心の呵責からか、晩年は精神疾患を患っていたとされる。53歳没。

真面目で聡明な一方、人格面では純粋さの裏返しとして未熟な部分があり、獄中結婚した妻は「中学生がそのまま大人になってしまったような人」と評している。

中川智正/ヴァジラ・ティッサ

坂本弁護士一家殺害事件や、化学兵器を用いた諸々の事件に関与。

医師免許を持っており、教団内でも医師として従事していたことがある。

死刑判決後は台湾人科学者のアンソニー・トゥーと交流を重ね、松本サリン事件、地下鉄サリン事件に関わる情報を提供。死刑執行後にアンソニーはこれらをまとめた著書を出版した。55歳没。

入信前までは真面目な常識人として知られ、なぜ彼がオウムに入信したかは入信前の彼を知る者からは不思議がられた。一方で林郁夫は「麻原の悪いところは分かっていても、そういうところを大事にしちゃう人」と語っており、この点が凶悪犯罪に加担するに至った一因と言える。

甲本ヒロト水道橋博士とは学生時代の同級生。

岡崎一明/マハー・アングリマーラ

古参幹部の一人。信者殺害や坂本弁護士一家殺害事件で実行犯を務めた。

入信前は腕利きのセールスマンで、教団内でも営業で成果を挙げていた。その手段はヤクザよりあこぎ」と評判だったとの事。

1990年に身の危険を感じ、教団から脱走。その後は故郷の山口県で過ごしたが、1995年に警察に自首し、逮捕された。

同じく自首することで減刑となった林郁夫(後述)と異なり、教団から身を守るための自首と見做されたことが大きく、死刑判決を免れることはできなかった。57歳没。

人物評は幹部目線では「麻原に面従腹背」と教団への帰依が薄いというものであった一方で、一般信者クラスや入信前に関わっていた人達は「気配り上手で面倒見が良く、リーダーシップがある」と評価していた。

端本悟/ガフヴァ・ラティーリヤ

坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件で実行犯を務めた。空手の達人であり、その腕っぷしを買われての抜擢だったとされる。

元々はオウムに出奔した友人を脱会させるためにオウムに接触したが、逆に自身が感化されてしまい、入信した経緯を持つ

教団が潜水艦を試作した際にテストパイロットに抜擢され、欠陥品の潜水艦ごと沼津港に沈められ死にかけるという散々な体験をしている。

死刑判決を受けたメンバーの中で、唯一特別な肩書を持っていない末端の信者であった。51歳没。

友情や仁義、男らしさや武士道を追求する一方で、教団への不満や教義への迷いを見せる弱さもあった。

豊田亨/ヴァジラパーニ

地下鉄サリン事件の実行犯を務め、日比谷線でサリンを散布した。

東京大学卒で、同大学の出身者として初めて死刑判決を受けるという不名誉な記録を打ち立てた。50歳没。

学生時代から快男児との評価を受けており、愚痴や不満を言わない性格だったとされる。

作曲家で東京大学教授の伊東乾は東大時代の友人であり、死刑執行まで接見を続ける仲だった。

林泰男/ヴァジラチッタ・イシディンナ

地下鉄サリン事件の実行犯を務め、日比谷線でサリンを散布した。

他のメンバーより1袋多くサリンを散布し、最多となる9人の死者を出したことから、マスコミからは「殺人マシン」なる物騒なあだ名で呼ばれた。

しかしイメージとは裏腹に人柄は温厚かつ実直で、その点は裁判官にも認められていた。第一審・東京地裁で「およそ師を誤ることほど不幸なことはなくその意味において被告人もまた不幸かつ不運であったといえる」と裁判官に評されたのは有名である。60歳没。

広瀬健一/サンジャヤ

地下鉄サリン事件の実行犯を務め、丸の内線でサリンを散布した。

早稲田大学を学科首席で卒業。大学院時代に執筆した論文はスイスで「世界のトップサイエンス」と評価され、教授からも「博士課程に進んでいたらノーベル賞級の学者になった」と太鼓判を押されたほどの秀才であった。性格も入信前を知る人物は異口同音に「真面目」と評するものであった。

しかし暗示にかかりやすい性格が災いし、麻原から洗脳の実験台にされ、結果的にテロ行為に手を染めることとなった。54歳没。

大学院在学中に推薦でNECに内定を貰うも、オウムに出家するために辞退していた。

横山真人/ヴァジラ・ヴァッリィヤ

地下鉄サリン事件の実行犯を務め、丸の内線でサリンを散布した。

彼の担当した列車からは唯一死者が出なかった。

逮捕後の取り調べで警察官から罵倒と暴行を受けたことを根に持ち、裁判では実行犯の中で唯一証言を拒否し続けた。54歳没。

人物評は概ね「真面目で不器用、口下手」というものであった。中川智正は、法廷でも口下手さが祟って1人も死者を出さなかったにもかかわらず死刑判決を受けたと評している。


その他

林郁夫/クリシュナナンダ

地下鉄サリン事件の実行犯を務め、千代田線でサリンを散布した。

慶應義塾大学医学部卒。病院での勤務経験を持ち、教団内でも医師としてオウム真理教附属病院の院長を務めた。

別件で逮捕された際、地下鉄サリン事件に関し自供。これにより同事件の詳細と、オウムの組織的犯行である事が明るみに出たため、結果的にオウム崩壊の立役者となった。

裁判では上記の事実が自首に相当するとして検察が異例とも言える減刑に踏み切り、判決は無期懲役となった。

地下鉄サリン事件の実行犯の中で、死刑を免れた唯一の人物。

事件後は単純な反オウムに転向したわけではなく、オウム関係者に人権を認めないような排斥運動に対して批判している。

村井秀夫/マンジュシュリー・ミトラ

古参幹部の一人にして、麻原の側近。

松本サリン事件では実行犯、地下鉄サリン事件では指揮官を担った他、麻原に同調してあらゆる兵器や武器を企画した。

1995年4月23日、東京・南青山のオウム総本部前で韓国人の暴力団員に刺され、搬送先の病院で死亡した。36歳没。

世間では、仮に生きていても裁判で死刑は免れなかっただろうと言われている。

尚、大阪大学卒の高学歴でありなら非現実的な発想をすることが多く、岡崎からはIQ180、EQゼロ」と評されたのを始めとして教団内での評価は散々で、人望は無かった模様。

麻原への帰依は非常に強く、林郁夫は「麻原にやれと言われれば『すぐ出来ます』と言うのは、別におべんちゃらではなく素早く結果を出すのが最高の帰依だと考えていたから」と分析していた。また、有田芳生は「上祐氏とはまったく反対で、辻褄合わせが不得手なのだ」と評していた。

上祐史浩/マイトレーヤ

古参幹部の一人にして、麻原の側近。

早稲田大学卒で英語が堪能。口も非常に達者で、畳みかけるように相手を封殺する論法からああ言えば上祐という俗語が生まれた。また、イケメンと評判であったことから一連の事件後に「上祐ギャル」と呼ばれるファンが付いた。

弁舌家としては後の西村博之のような立ち位置であった。

村井と共に教団のナンバー2と目されていたものの、海外方面で事務的な仕事を担当することが多く、国内の凶悪事件に加担しなかったことから懲役3年で出所している。

出所後、後継団体「アレフ」の代表となるも後に脱会し、現在は「ひかりの輪」代表。

青山吉伸/アパーヤージャハ

教団の顧問弁護士

京都大学法学部卒。大学在学中に21歳の若さで旧司法試験に合格しており、これは当時の最年少記録である。

教団を擁護するためにメディアに積極的に出演していた為、世間に馴染みの深い信者の一人であった。

地下鉄サリン事件後に逮捕され、後に弁護士資格を失った。現在は出所しているが動向は不明。

麻原の子女たち

麻原には数多くの愛人ダーキニー)がおり、彼女らとの間に多数の子供を作っていたとされる。正確な人数は不明。

彼らは事件後、差別に遭ったり学校から入学拒否されたりと苦難の道を歩むことになる。

また、子女たちの間でも麻原派と反麻原派の対立が起こっている。


教団による主な作品

アニメ


楽曲

  • 麻原彰晃マーチ / 尊師マーチ…「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー」で有名。
  • 真理教、魔を祓う尊師の歌…「しょしょしょしょしょしょしょしょーーこーー」で有名。
  • エンマの数え歌…「わーたーしーはーやってないー、潔白だー」で有名。
  • 超越神力…『超越世界』および同名アニメのオープニングに用いられている。
  • 天へ帰れ…別名「超越神力エンディングテーマ」。

余談

映画『地獄(1999年)』でオウム真理教をモデルにしたカルト教団が登場、その教祖が麻原そのものと言える。

関連タグ

ポア グル プルシャ


全体主義 カリスマ みんなのトラウマ

犯罪組織 テロリスト サイコパス カルト

石原慎太郎 ナンシー関 世界基督教統一神霊協会


20世紀少年ともだちの宗教団体はオウム真理教がモデルと思われる(創価学会の説もあり)

恒心教:何故かオウム真理教の後継者を名乗っており、警察がムキになって対応する原因かもしれない。

関連リンク

関連記事

親記事

カルト宗教 かるとしゅうきょう

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 590832

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました