イギリス流戦闘機
1930年代末、イギリス海軍は超低空で忍び寄る雷撃機への対抗策に悩まされていた。その対応策が『同航戦』、すなわち戦闘機を二人乗りに改造(もしくは最初から設計)し、操縦士の後ろに機銃手を乗せ、旋回する機銃により相手を撃墜する戦略に活路を求めた。
さて、肝心のロック、ちなみにロック(roc)とは、アラビアの伝説上の大怪鳥のことである。
同航戦を行うためにイギリス空軍が開発された戦闘機にデファイアントがあり、一時はイギリス海軍もこちらの採用が検討されていた。ところが空軍はエンジン調達の都合上これに反対。
かくして海軍は別の航空機を作ることになり、ブラックバーン・スクア急降下爆撃機(爆撃機ではあるもののまだ急降下爆撃の詳細が定まっておらず、戦闘もこなせた第二次世界大戦初期の航空機)を改造し、同様の戦闘機に仕立てる事にしたのである。
同航戦
敵機と並行して飛行し、これを射撃するというものであり、この方法だと相手に対する射撃時間を長く取れ、また並行しているので命中率も高いという利点があった。またイギリスは戦闘機実用化から戦間期まで、敵機迎撃に有効としてこれらの戦闘を行うための戦闘機を実戦配備していた。
それどころか、デファイアントが開発された背景には、「戦闘機は高速になりすぎ、WWIのようなドッグファイトはもう起こらない」という思想すらあった(実際には、超音速の時代に入っても戦闘機がドッグファイトをしなくなることはなかった)。
ちなみに似たような勘違いはその超音速ジェットの黎明期にアメリカ海軍がやらかしている(F-4ファントムIIの初期型はAAMのみで、機首機銃がなかった)。
さてロックの場合は少し事情が異なり、イギリス海軍の雷撃機の基準が自軍の複葉のソードフィッシュだったため、こんなものが使い物になると勘違いしてしまったのだ。
ちなみに、この時期すでにアメリカ合衆国、さらには日本国も全金属低翼単葉の艦上雷撃機の試作を開始している(TBDデバステイター、九七式艦上攻撃機)時期であったにもかかわらず、イギリス海軍はソードフィッシュの後継のアルバコアすら複葉(しかも失敗作でソードフィッシュより先に退役)という有様だった(イギリス海軍の名誉のために記述すると計画のみに終わったドイツの艦上雷撃機も複葉機)。
デファイアントの経緯に比べると「まぁしょうがない」レベルではある。ただ急降下爆撃機のスクアより遅い(旋回機銃搭載による重量増加のため)のはどうすんだ? というツッコミどころが残るが。
前途(だけは)良好(だった)
ロックは原型機の初飛行前にもかかわらず、136機(ちなみにスクアは生産190機)の発注を受けた。海軍にとっては、扱い慣れたスクアの派生型という安心感もあったのだろう。実際にエンジンは出力が向上したスクアのものが流用されている。運用としてはスクアと編隊を組み敵の攻撃に備える、というものだったらしい。
イギリス(愛されるべき駄作)の血統へ
ところが、1938年にテスト飛行をして明らかになった問題がある。
飛行性能が明らかに低いのである。原型のスクアより遅かったのだ(スクアは最大204nm/h。一方こちらは196nm/h。ちなみにnmは「海里」である、ちなみに鈍足扱いのデファイアントは70nm/h以上早い)。
これらを解消するためプロペラを大型のものに交換するなどの対策が為されたが、それでも大きな効果は無く、それどころか飛行安定性を欠き、あちこちヒレ(整流板)をつけなければならない有様だった。まぁちょっと考えればわかることだが。
根本的な問題こそ解決しないままだったが、1939年には発注した136機が揃い、実戦部隊が編成される事になった。空母艦載機部隊への配備である……と、ここでも問題が発生した。着艦性能に問題があったのである(詳しく記述されていないが、機体が重すぎて着艦ワイヤーが痛む・切れるなどの問題だろう)。結果ロックは全て陸上の基地に配備される事になった。
実践
1940年、ダンケルク撤退戦で同様の機体であるデファイアントが初めて実戦投入された。しかしデファイアント戦果を挙げたのはその時くらいなもので(敵がハリケーンと間違えて後ろに近づいた)、後ろ以外はすべて無防備である事が知れ渡ってからは、損害ばかりが積みあがる事になった。
それではロックは実戦で戦果を挙げたのだろうか?
デファイアントより150km/hも遅い戦闘機が活躍できたはずはない(一応1940年にスクアと協力してJu88を撃墜したのが唯一の対航空機戦の成果であるといわれる)。スクアがすでに時代遅れであり、その用途がフルマーやバラクーダに譲られてからは本格的に使えなくなり、本土で飛べなくなった機体は対空機銃代わりにされ、それ以外でも43年8月には「完全に」姿を消した。
水上に生きる
もてあました機体のうち4機は水上機へと改造されている。戦艦に搭載して敵の捜索機を迎撃する用途が模索されたのだ。ところが水上用のフロートは重く、飛行性能はさらに低下(最大速度359km/h⇒311km/h)して安定性も低下。この速度ではそもそも追いつける敵機がいないので計画は放棄された。
そんで結局
空戦性能はロックはもちろん原型のスクアでも不足することがはっきりした結果、とりあえずの凌ぎとしてハリケーンに艦上装備を取り付けたシーハリケーンが登場。
デファイアント同様結局本業はハリケーンが肩代わりするというオチがついた。
余談
ちなみにハリケーンは内折れの頑丈な主脚を持っており艦上運用にもよく耐えたが、(シーハリケーン以外にも空軍仕様から艦上用に改造された機があるほど)スピットファイアで同じこと(シーファイア)をやろうとしたのがいけなかった。外折れ式のスピットファイアの主脚はトレッドが狭く安定性が悪い上に脆く、ボキボキ折れまくった。
ロックといいデファイアントといいなぜ机上の段階で気がつかねぇかなぁ。
で、シーハリケーンは優秀であるものの航続距離が不足したため、結局アメリカのグラマン・マートレット(米海軍名称F4Fワイルドキャット)を供与してもらい、それが主力となる。
北欧への道
冬戦争のさなか、フィンランドへの供給が決定された。ところが実際に供給される前に冬戦争は終結。ロックは輸出されずに終わった。こんな低性能、おそらくフィンランドも持て余したことだろう。
しかし、『あの』ソ連が放棄した駄作兵器を鹵獲して有効利用したフィンランドの事である。きっと本家も驚く利用法を思いついて、見事に活躍させたかもしれない(ブリュースター「バッファロー」など、類似の前例は多い)。
関連項目
宮崎駿…自書「宮崎駿の雑想ノート」内の一篇「特設空母安松丸物語」にて、本機を「大好き」と公言している。そのためか、同話にて日本海軍の九六式艦上攻撃機と不遇な機体同士の夢の対決を行い、終始優勢であった。
参照
wikipedia:同項目、ブラックバーン:スクアそのほかリンク先