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日本国

にほんこく

極東にある日本列島及び周辺の島々を領土とする国家。
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東アジアに属し、太平洋の北西側に浮かぶ立憲君主制島嶼国家島国)。通常日本と呼称される。

国号の由来は日本列島が東の果て、つまり「日の本」に位置することが由来とされている。

一般的ではないが、もっとも広く解釈すると太平洋上の陸地の一つとして、オセアニア地域の国の一つともされる。

概要

経済規模は世界3位、人口規模は世界10位であり、領土と排他的経済水域の合計面積でも世界10位と、世界的にも主要な国家のひとつ。

弥生時代から古墳時代にかけて成立したヤマト政権をその起源とする。ヤマト政権は、近畿地方の大和平野南部の勢力を中心に、各地域(北九州関東地方山陽地方・山陰地方など)の地方政権が連合して徐々に形成されていったと思われ、初代天皇である神武天皇の即位した西暦紀元前660年2月11日建国記念日とする。歴史学的には、日本最古の歴史書である『古事記』が根拠とされる。立憲君主制国家(異説あり)。

公用語は法律には特に明記されていないが、事実上は孤立した言語(同系の言語が他にない)である日本語漢字文化圏に属し、日本語表記には漢字とそれから派生した仮名ひらがなカタカナ)を用いる。

国内ではあまり知られていないが、実は日本は現存する世界最古の君主制国家としてギネス世界記録に認定されている。
1位の日本約2670年、2位デンマーク約1100年、3位イギリス約980年

国名

日本という国名が使われるようになったのは7世紀後半頃で、それまでは「倭」(やまと)と呼ばれていた。「やまと」という国号は政治権力の本拠地から起こったものと考えられ、神武天皇の時代(狭義のヤマト)から崇神天皇の時代(広義のヤマトの成立)を経て、それが全国的に認知され国号として成立したのは景行天皇の時代とみなければならない。
「日本」もやはり最初は「やまと」と訓読みしていたが、次第に「にっぽん」と音読みされるようになり、それがつまって「にほん」と呼ばれるようになった。

日本文化を特徴的に示す概念として、「」という言葉がしばしば用いられる。「和」は古くから日本を示す言葉で、中国)や西欧欧米)など外国からの事物に対比して使われる。

また「大和やまと)」という言葉が使われる場合もある。「やまと」は本来、奈良県の大和平野南部を指すが、古くから日本全体を指すために使われてきた言葉でもある。

政治

日本国憲法に基づき、議院内閣制を採用する民主主義国家。第二次世界大戦の敗戦以来、領土内にアメリカ軍が駐留しており、独立国としての地位回復後も、時期により程度の強弱はあるものの一貫してアメリカ合衆国の影響下にある。

国家元首は憲法に明記されていないものの、政府見解では古来より日本の君主として存在してきた天皇を、「日本国及び日本国民統合の象徴」として、日本国内外において国家元首に準じた存在としている。

日本国憲法では天皇は国政に関する権限を持たず、儀礼的な国事行為及び儀式を行う日本国及び日本国民統合の象徴と位置づけられている。行政権は、内閣総理大臣を筆頭とした内閣が有し、大臣を長とする各省庁により実際の行政が執行されている。

天皇英語では Emperor と呼称される(ただし、日本国の統治地域は日本列島とその周辺の小さな島だけであり、天皇には多民族、多地域を統治する英語の Emperor としての実態はないため、近年では英語圏でもTennouという呼称が定着しつつある)。外国からは事実上の元首相当に扱われている。例えば、開催国の元首が行う慣例になっているオリンピックの開会宣言を、日本で開催されたオリンピックでは天皇が行っている。

明治期に制定された大日本帝国憲法には、立憲君主制であることが明記されていたが、旧皇室典範は憲法と同格とされ、天皇は統帥権や勅令などの強力な権限を持っていたため「絶対君主制」とする見解もある。これへの反論には、天皇の権限には内閣の輔弼が必要で、これが事実上の承認であったとして、絶対君主とは言えないとする見解もある。ただし大日本帝国憲法及びそれに基づく法律には総理大臣権限などは明確に明記されていなかった。

初代神武天皇から第125代の今上天皇に至るまで王朝交代はなく、全て神武天皇の男系子孫により世襲されてきたとされる(万世一系)。ただし、これには異説がある(日本の皇室では、傍系の皇族が皇位を引き継ぐこともしばしばあったが、外国の基準ではこれが「王朝交代」と見なされる場合がある。例えばフランス王室はヴァロワ朝やブルボン朝、オルレアン朝に至るまで全てカペー朝の血を引く家系である)。

天皇は、主として日本での政治権力の担い手の正当性を根拠づけ、権威を表象する役割を果たしてきている。

国政

国会は、衆議院参議院との二院からなる二院制(両院制)の議会である。「国権の最高機関」であり、「国の唯一の立法機関」とされる。

衆議院・参議院は、いずれも全国民を代表する選挙された国会議員によって組織される。ただし、法律予算条約の議決、内閣総理大臣の指名、内閣不信任決議などにおいて、衆議院に参議院よりも強い権限が与えられている。これは、衆議院解散があり、任期も短いため、より民意を反映しているため、と説明される。内閣は、首長たる内閣総理大臣と、その他の国務大臣からなる合議制の機関である。

内閣総理大臣は、国会議員でなければならない。国会が指名した人物は、天皇により儀礼的・形式的に任命され、内閣総理大臣に就任する。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が認証する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。

国会では、国会議員のみが法案提出権を持つ。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案であり、国会議員が発議する法案が少ない。政府提出法案は、内閣の下に置かれる省庁が国会の多数を占める与党との調整を経て作成するため、省庁のキャリア官僚の国政に対する影響力が強く、官僚出身の政治家も多い。選挙活動は政治家を取り巻く後援組織の地盤固めに大いに依存するため、いわゆる世襲政治家も多い。

多くの政治家や官僚がアメリカ合衆国の政財界と強いパイプを持っており、アメリカ合衆国の意向を「外圧」として自らの権益拡大に利用することが多い。

領土

概ね、オホーツク海日本海東シナ海太平洋に囲まれた、日本列島と称する弓状列島(北海道本州四国九州)、およびその周辺列島である南西諸島伊豆諸島小笠原諸島などを領有する。その範囲には大小多数の離島を含みその数は海岸線の長さが100m以上のもので6852存在する事が確認されている。

領土問題

日本国も諸外国同様に領土問題を抱えており、西方の竹島、北東の北方領土(歯舞、色丹、国後、択捉など)はそれぞれ、大韓民国ロシアに不法占領された状態(日本側の認識上)にあり、南方の日本国の実行支配下にある尖閣諸島に関しては、中華人民共和国及び中華民国台湾)が領有を主張する。

中国及び韓国との領土問題については、日本国内の全ての政党が共通の認識に立つが、ロシアとの領土問題に関しては、第二次世界大戦後、ソ連の不法な侵略により占領されたという認識から、千島列島全域の領有権を主張する政党もある。

気候

領土の大半は温帯と亜寒帯(冷帯)。北海道及び本州北部の一部は冷帯に属し、沖縄諸島や小笠原諸島などは亜熱帯、先島諸島は熱帯、その他の部分は温帯に属する。

複数の気候帯に跨り温暖湿潤であるため、領土面積の割には植生は多様性に富んでいる。また一部の熱帯作物を除くほとんどの地域の農産物が栽培可能であり、実際に多くの商品作物が栽培され流通している希有な地域である。

位置や気流、潮流の影響から季節間の寒暖の差があり、春秋冬夏の季節間が比較的はっきりついている。冬には主要地域で雪が観測でき、夏には全ての地域で海水浴が可能である。

歴史

よく日本の歴史は日本列島の歴史と同一視される。だが日本は段階的に成立してきた歴史を持つ国であるため、実は明確な建国の時期の記録を持っていない(あまりにも歴史が長く“文字”が生まれるより昔から存在していたとされるため)。
一般的には『古事記』を元に神武天皇の即位日として定められた紀元節(紀元前660年2月11日)が日本の始まりとされ、イギリスギネスブックにおける世界記録にも認定されている(上述の『概要』にも記載)。

「国家」として厳密に定義した場合の「日本」の成立は律令国家体制を完成させた7世紀後半~8世紀初頭頃だとする声もあり、「日本の歴史」と「日本列島の歴史」とを明確に区別して捉えるべきとする考えも示されているが、国家成立前の縄文時代からの日本文化の連続性を重視する見解もある。
そもそも「律令制」とは、古代中国大陸西晋で成立して広まった東アジア独特ものであり、なにも世界における国家定義の基準というわけではない。

近年、島根県出雲市の荒神谷遺跡の発掘で、358本の銅剣が発見され、これによって古代出雲が軍事大国であったことが確実となり、なぜ大量にまとめて埋められていたかというと、実は統一王権ができた4世紀には戦争の跡が見られず、戦争もなく統一王権ができたのは、古事記の中に書かれた出雲大国主神が、自分の国を天照大神に譲ったという「国譲り」の話が事実であるからという可能性が考古学の成果により判明している。

時代の区分は、考古学上のものと歴史学上のものとがある。

考古学上は、旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代、歴史時代、とするのが一般的である。

一方、歴史学上は、古代飛鳥時代奈良時代平安時代)、中世鎌倉時代室町時代戦国時代)、近世安土桃山時代江戸時代)、近代明治大正昭和平成)の四分法が通説である。

日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前ないし約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島北部は、樺太を通じて北アジア(シベリア)と陸続きで、北方から古モンゴロイドが入り、日本人の祖先となった。ただし、約1万2千年前まで続いた最終氷期では、中国大陸及び朝鮮半島とは陸続きにはならず、朝鮮海峡は狭い水道となっていた。

最終氷期が終わる以前に、大陸から分離し、日本列島の人々はユーラシアの新石器文化とは異質な要素の多い縄文文化を築く。ただ、この後も大陸との間で通交・交流が行なわれ、巨視的には、日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった。だが、東アジアの最東方に所在する島国、という地理的条件により、他の東アジア地域と異質な要素を持つ独自の文化・社会・政治体制を発達させた。

紀元前8世紀頃以降、中国南部から稲作を中心とする文化様式が伝わると、各地に「ムラ」「クニ」と呼ばれる政治組織が徐々に形成され、紀元前後に各クニの連合による倭国と呼ばれる大規模な政治組織が出現した。クニ・ムラ連合的政治組織は、4世紀までに統一王権(大和王権)へと発展する。

大和王権は、朝鮮半島の百済新羅に対して、度重なる出兵を行い、半島に影響力を持っていた。天智天皇2年に百済復興のために援軍を送るが白村江の戦いと新羅の連合軍に敗れて半島への影響力を失う。

7世紀後半に中国)の法体系・社会制度を急速に摂取し、8世紀初頭に古代国家(律令国家)としての完成を見た。当時の日本は、隋との通交以来、中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せ、中国を中心とする冊封体制からの独立を志向した。これは、他の東アジア諸国と異質な外交姿勢であり、その後の日本にも多かれ少なかれ引き継がれた。

その後、東アジアの中でも独特の国際的な地位を保持し続け、7世紀に中華王朝に対して独自の「天子」を称し、13世紀の元寇、16世紀のヨーロッパのアジア進出、19世紀の欧米列強の進出など、様々な事態にも対応して独立を維持した。

成立当時の日本の支配地域は、日本列島の全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外だった。九州南部は、8世紀末に組み込まれたが、抵抗の強かった東北地方の全域が完全に領域に組み込まれたのは、鎌倉時代に入ってからである。

特に8・9世紀は、蝦夷の征服活動が活発化すると共に新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入り、こうした動きも沈静化した。ただし、北東北及び北海道では、この時期の関東以南で作られた工芸品が多く出土しており、蝦夷と本州中央部の人々は、交易などを通じて密接な関係を保ち続けた。

10世紀から12世紀に掛け、旧来の天皇を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ王朝国家体制、さらに中世国家(武家政権と朝廷の二重政権)へと移行した。

12世紀頃から起請文などの私的な文書に「日本」や「日本国」の表記がしばしば見られ、社会に「日本」や「日本人」の意識が浸透したことの表れと考えられる。特に13世紀後半の元寇は、「日本」・「日本人」の意識が社会各層に広く浸透する契機となり、併せて「神国」観念を定着させた。

室町時代には、「日本」の領域が北海道の南部まで及んだ。14世紀から15世紀までの時期には、社会の中世的な分権化が一層進展したが、15世紀後半頃から戦国大名勢力による地域国家の形成が急速に進んだ。

この地域国家の形成は、中世社会の再統合へと繋がり、16世紀末に日本の統一政権が樹立されるに至り、近世へと移行した。社会の安定化に伴い、日本の人口は、近世初期に大幅に増加し、日本の多くの地域が目覚ましい経済発展を遂げた。

日本の領域は、この時期にも変動している。16世紀末に蠣崎氏が北海道の南部に本拠を置き、北海道・千島樺太を含む蝦夷地の支配権を得た。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、言わば「境界」とも言うべき地域だったが、17世紀にシャクシャインの戦いロシア帝国の進出によって北方への関心が強まると、アイヌ及びロシアへの他者意識が「日本」・「日本人」観となって庶民層にまで定着し、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。

南方に目を向けると、中世を通じて鬼界島・硫黄島までが西の境界と意識された。17世紀初めに薩摩島津氏が琉球王国へ侵攻して支配下に収めたが、その後も琉球王国は、日本・中国への両属を続けた。

19世紀中葉に入り、欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「日本」・「日本人」意識が更に強まり、ほぼ現代の「日本」・「日本人」意識と一致するまでに至った。アジア各国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く保ったことは、国民国家意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の近代国家建設の基礎となった。

明治維新に伴う近代化により、近代的な国民国家の建設を急速に進めた。同時に近隣国と国境の確定を行い、明治8年に樺太を放棄する代わりに占守島以南の千島列島全域を日本領とし(樺太・千島交換条約)、また、琉球処分を通じて南西諸島方面の実効的な支配に成功し、ここに一旦、近代国家としての日本国の領域が確定した。

自由民権運動を経て明治18年に内閣制度を確立し、明治22年に大日本帝国憲法を制定し、明治23年に第1回衆議院議員総選挙を実施して帝国議会を設置した。こうして、アジアで初めて憲法と議会とを持つ、近代的な立憲国家となった。

19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く思惑から日清戦争日露戦争を引き起こし、満洲・太平洋地域に勢力圏を築くことを目指した。両戦争を通じ、台湾・澎湖諸島および南樺太を領土に収め、関東州の租借権を獲得した。満洲への経路として明治43年に韓国併合を実施した。

大正8年にパリ講和会議人種差別撤廃案を提出した(アメリカ合衆国などが反対)。また、発足した国際連盟からの委任を受けて南洋群島を統治することとなった。大正時代に大正デモクラシーが起こり、政党政治に移行。普通選挙が実現した。

1930年代に軍部が台頭し、政府の意向を無視して満洲への進出を強め(政府からの統帥権独立をうたった「大日本帝国憲法」の制度的欠陥からこれが止められなかった)、満洲国を建国して一定の支配権を得るに至った。こうした対外志向は、特にアメリカ合衆国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、最終的に昭和20年太平洋戦争大東亜戦争)の敗北によって破局に至った。

日本はアメリカ合衆国を中心とする連合国により史上初めて占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の総てを失った。

占領下に国制の改革が進められ、憲法を全面改正して日本国憲法を制定した。1952年(昭和27年)の平和条約によって主権を回復し国際連合に加盟したが、戦前のような独自の勢力圏獲得は目指さず、冷戦下の世界において西側諸国の一員として経済力を伸長させる道を選ぶ。以来、1970年代半ばまでに目覚しい経済発展を遂げ、世界有数の経済大国となった。昭和27年から昭和28年にかけてトカラ列島や奄美群島、昭和43年に小笠原諸島、昭和47年に沖縄県の施政権が、それぞれアメリカから返還された。

1970年代後半以降、先進国の一員として数々の国際的役割を果たし、多くの発展途上国で成長モデルとして目標にされた。21世紀に至り、少子化と高齢化社会に伴う人口減少、経済成長の停滞など、数多くの課題に直面している。

民族

古来から日本列島で暮らしてきた人々の大半は、日本民族(大和民族)と呼ばれ、日本に住む者のほとんど(約98.5%)を占める。

また、日本列島にルーツを持つ他の民族として、アイヌ及びニヴフ、ウィルタがいる。アイヌは、北海道の先住民族として政府から認定されているが、樺太にルーツを持つニヴフ、ウィルタは、政府による公式な認定を受けていない。

「蝦夷地」と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部に居住したアイヌや、琉球王国を樹立した南西諸島の人々は、弥生時代以降、本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土の政権の支配下には入らず異なる歴史を歩んだ経緯がある。沖縄諸島ないし琉球諸島の住民を琉球民族として大和民族と分ける考えもある。

ヤマト王権の側から書かれた古代史には、九州地方に熊襲、東日本に蝦夷など、文化を異にする部族がいたという記録がある。彼らは、徐々に大和朝廷に臣従しながら大和民族と同化していったとされる。

アイヌ語と日本語との比較言語学的な関連が見出せないことから、アイヌと大和民族との関連について様々な議論があるが、遺伝学や考古学的証拠から大和民族との関係を重視する学説が有力になり、大和民族に同化しきらなかった蝦夷が、オホーツク文化などの影響を受けつつ、徐々に中世頃から分化したものと考えられている。アイヌを含む日本人の起源は、北方系古モンゴロイドの縄文人を基層にしたものとの説が近年有力だが、弥生時代前後の、ユーラシア大陸からの移住者の影響を重視する見解もある。自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「大和民族」・「日本民族」とも言う。

南西諸島の人々は、平安時代以前に九州から南下した人々が中心となっているとされ、言語的にも本土の住民とルーツを同じくしていることは明らかである。 またアイヌ民族も、血統的には和人同様、縄文時代人の直系子孫との見解が、ここ最近の人類学会では、ほぼ定着している。だが、歴史学や考古学の立場からは、和人との異質性や中世のオホーツク文化の影響を強く主張し、北方民族との接触を経てアイヌ文化が成立するという見解を取る研究者が多い。

列島主要部では、ヤマト王権の成立に伴い、和人としての文化的な一体性が形成される。その後、蝦夷など朝廷の支配下に入るのが遅れた人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には、薩摩藩による琉球への侵攻、松前藩のアイヌ支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島の全域が和人の勢力圏に置かれた。

現在、アイヌ語を第一母語とする人々はすでに絶えているが、アイヌ文化振興法が制定されて郷土文化の保存・再興が図られている。

なお、アイヌと共に南樺太にいたウィルタやニヴフの多くは、第二次世界大戦最終盤におけるソビエト連邦の侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。

また、小笠原諸島には、19世紀初頭にハワイから植民団が入植してヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人による小規模なコロニーが形成されたが、明治維新の後に日本による領有が確定すると順次、彼らも日本国籍を取得して日本人の社会に溶け込んだ。

宗教

主な宗教は神道大乗仏教である。隣国の韓国と異なり、信教の自由が認められて以降もキリスト教の信徒数は伸びなかった。ユダヤ教イスラム教ヒンドゥー教の信徒はごく少なく、在日外国人を除けば数えられるほどわずかである。

だが教派神道系を除けば意識的に神道を信仰している日本人はそれほど多くはない。仏教についても三宝(仏・僧・僧)に帰依する事を誓い、受戒して仏教徒になった在家信者は限られている。

在家の修行者でもない仏僧の妻帯も常態化している。本来なら僧侶が結婚し、還俗しないまま性交することは出家者にとって最大級の罪である「波羅夷罪」に相当する。
もともとこうだったわけではなく、開祖が結婚した浄土真宗や妻帯の修行者を認める修験道を除き、日本仏教各宗派の開祖・伝統はこれを認めていない。

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日本 にほん ニホン ニッポン ジャパン/JAPAN
本田菊ヘタリア日之本さくらニホンちゃん):日本国の擬人化の例。

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