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概要

軍縮条約による空母戦力の制限をカバーするため、対艦雷撃対地水平爆撃の両方を可能とした双発機である。

通称は一式陸攻で、独特の形から葉巻とも呼ばれた。

現在の三菱重工業本庄季郎が中心となって開発し、1941年に制式採用。


九六式陸上攻撃機の後継機として、

・胴体の大型化でそれまで機外に搭載していた爆弾や魚雷を機内収容できるよう変更

・より高性能化した大型新型エンジンを搭載

・軽快な運動性能と操縦性への改良

・20㎜機銃を搭載し防御銃座も強化

・燃料タンクを主翼インテグラル式構造にして航続距離を拡大

などの工夫を施された。


インテグラル式燃料タンクとは、主翼や胴体内部を構造部材ごと水密構造にしその中に燃料を入れる仕組みである。

一式陸攻では「防弾が十分でなく、被弾時に主翼発火の原因になった」という分析もされているが、防弾対策は一式陸上攻撃機よりは厳重とはいえ同年代のアメリカB-29でも採用されていた。

後年には航空機への防弾対策がほぼ意味をなさなくなった事もあり、B-36や、フランスミラージュF1ソ連Su-17などのジェット機にも採用されて燃料搭載量や航続距離の向上に寄与していた。

もっとも防弾対策の他にもインテグラルタンク構造は補修作業が大変な面もあり、海軍から航続距離を減らしてでも防弾対策の充実を望まれた事もあって三四型では主翼の内部構造を一新してインテグラルタンクを廃止し、別体の防弾タンクを収納するようになっている。


戦地投入後の初期はその高速でさっさと爆撃任務を終えて帰還し、九六式陸上攻撃機のパイロットを羨ましがらせたという逸話もあり、そして最も輝かしい戦果としては、マレー沖海戦においてイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスを九六陸攻隊と共に撃沈した事が挙げられる。

洋上を戦闘航行中の戦艦を航空機だけで撃沈したこの海戦の結果は航空機戦力の艦船に対する優位性の証左を示す事になり、世界における海軍戦力の主力が戦艦から空母や対艦攻撃機への転換のきっかけとなった。


だが、高空からの爆撃などでは生還率は依然高かったものの、マレー沖海戦同様に戦闘機の援護も無いまま敵艦隊への低空での爆雷撃に投入された折には対空砲火以外にも上空直衛の空母艦載戦闘機により大損害を被るようになり、1942年2月20日のニューギニア沖海戦では空母レキシントンのラバウル空襲は阻止したものの、昼間爆撃で17機中13機を失い、1943年1月のレンネル島沖海戦では29日の薄暮雷撃では31機中3機の損害であったが、30日の昼間雷撃では前日に被雷した重巡洋艦シカゴに止めを刺したものの11機中7機を失っている。更にその後の高性能の新型戦闘機対空レーダーも擁するようになった米軍の圧倒的な物量と戦力に押され、次第に夜間での爆雷撃で使用される様になるが、銀河などの後継機の開発が遅れた事もあって終戦まで陸上攻撃機の主力であった。

また戦地との物資や人員の輸送任務にもよく用いられた。


終戦直後も、連絡事務処理のために残存していた一式陸攻も動員された。

これは「緑十字飛行」とよばれており、最も航続距離が大きかった旧型の11型が充てられた。


主な派生型

11型

全生産機中の約半分を占める最多生産型で、胴体上部・左右のブリスター(張り出し)型機銃座風防が特徴。昭和15(1940)年12月から引き渡しが始まり、昭和19(1944)年1月の生産終了まで1200機が製造された。


昭和17(1942)年8月に生産された第406号機以降は、エンジンをそれまでの火星11型から高高度性能を改善した火星15型へと換装している。このエンジンは当時開発中だった22型のそれとも違うため、三菱では仮に13型と分類していたが、海軍の側では特に区別していなかったようだ。


22型

胴体を再設計し、エンジンも火星21型とした改良型。

他にも11型に途中から導入された推力式排気管などが採用され、プロペラも4翅となり、防御武装も強化されるなど、11型とはほぼ別物と化している。


銃座もブリスター型風防をやめ、とくに上部銃座は動力銃塔としたうえで九九式二〇ミリ一号機銃を搭載した。胴体左右銃座は単純な開閉窓式となり、射撃の際はこれを開いて九二式七粍七機銃を突き出す。22甲型ではこちらも九九式二〇ミリ一号機銃とされて火力は向上した。22乙型では尾部銃座が九九式二〇ミリ二号へ変更された。これは薬莢の容量を増して初速を増し、弾道性能を良くしたもの。


24型

エンジンの減速比を変更して振動を抑えた火星25型へ変更したもの。他は基本的に22型に準じるが、24丁型ではロケット特攻機「桜花」を搭載できるよう改造を施している。


34型

防御上弱点となりやすいインテグラルタンクをやめ、設計を変更して主翼構造材の隙間に燃料他タンクを詰め込むプラダー式としたもの。重量は多少増加したものの、速度性能ではすべての型で最もよい約480km/hを発揮する。しかし生産開始が遅く、空襲や地震の影響もあって、終戦まで60機程度しか完成しなかった。


余談

山梨県鳴沢村にある「河口湖自動車博物館・飛行館」では胴体部分が復元保存されており、米国カリフォルニア州の「Planes of Fame Air Museum」やメリーランド州の「ポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設」でも機首部分などが保存されている。


・現役最年長パイロットとしてギネス認定されている高橋淳氏は、従軍経験時に一式陸攻の正操縦士や機長を務めていた。

資料写真としてよく見るトップイラストのような「ガダルカナル沖で超低空飛行を行う一式」のうちの1機が彼の搭乗機であるとされている。

TV番組の取材では、本来は零戦に乗りたかったが、「体格が良すぎてコクピットに入れないから、一式陸攻部隊に志願した」事や、例の超低空飛行は「対空砲の届かない水面スレスレを飛べばいい」という発想でやっていた事、後ろに付かれた際は本来小型機用のテクニックである「横滑り」で回避していた事など、様々な経験を語っていた。


・連合軍に与えられたコードネームは“betty”。これは、命名者の彼女の名前であり、翼の大きなエンジンが彼女のアレを彷彿させたからと言われている。



関連項目

日本海軍 海軍航空隊 第二次世界大戦

爆撃機 攻撃機


モスキート

:開発・運用思想としてはこちらに近い

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