概要
文政13年(1830年)8月10日~明治11年(1878年)5月14日
明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで『維新の三傑』と称される。旧名は正助・一蔵。甲東と号した。初代内務卿として明治新政府の政治・外交・軍事を牛耳った辣腕ぶりが有名である。大久保の実行した急進的国政改革に反発する島田一郎ら不平士族に襲撃を受け斬殺される。
薩摩藩士時代には西郷隆盛らと精忠組を結成し、実権を握る藩主の父・島津久光に藩政改革の建白書を提出して側近に抜擢され、小松帯刀らとともに久光に重用される。
文久2年(1862年)には[公武合体]を目指し、京において岩倉具視らと朝廷工作を行い、一橋慶喜の将軍後見役就任、越前藩主・松平慶永の政治総裁職就任の運動を進めた。
慶応2年(1866年)、長州との同盟が秘密裏に結ばれたことにより、薩摩藩は第2次長州征討を拒否、幕府軍は高杉晋作率いる奇兵隊による奇襲攻撃と大村益次郎の軍略に苦戦、そうこうするうちに京において幕府軍の指揮をとっていた将軍・徳川家茂が病死したことにより、幕府軍は長州より撤退した。
慶応3年(1867年)、小松帯刀とともに「四候会議」を主宰するも、将軍・徳川慶喜が会議を頓挫させたため、公武合体策をあきらめ武力による倒幕を決意。同年10月、倒幕の密勅(偽造されたものとの説もある)を得たことにより、西郷隆盛率いる新政府軍は江戸へと進軍、総攻撃を前に西郷と幕臣・勝海舟が会談、慶応4年(1868年)4月11日、将軍・徳川慶喜は寛永寺において謹慎、江戸城は無血開城し、ここに江戸幕府は滅亡した。
明治新政府では参議・大蔵卿・内務卿を歴任。木戸孝允と共に版籍奉還・廃藩置県を敢行して新政府の基礎を固める。
明治4年(1871年)から明治6年(1873年)にかけて右大臣・岩倉具視率いる岩倉使節団に参加しヨーロッパ・アメリカに視察・滞在するが、この間国内にとどまった西郷隆盛ら留守政府による明治六年の政変が勃発。西郷らが推進する「征韓論」に太政大臣・三条実美は追認することとなっていた。しかし、ここで岩倉具視・大久保利通、木戸孝允らが帰国、岩倉・大久保らは西郷らが主導する「征韓論」に反対し紛糾、採決の末、反征韓論派が勝利した。これにより、西郷らは敗れて下野し、大久保は政権を担って地租改正・殖産興業を推進した。
明治7年(1874年)に新政府が行った台湾派兵では、清国やイギリスの反発を招き、国際関係が緊迫したため、8月に大久保は勅命を奉じ、全権弁理大臣として北京に赴き清国政府と交渉して和議を成立させた。
明治9年(1876年)になると萩、秋月、佐賀、熊本で不平士族による反乱が頻発、新政府は故郷・鹿児島に帰郷した西郷により創設された「私学校」を不平士族の温床として警戒し内偵のため中原尚雄以下警官数名を派遣した。その後、私学校学生らが新政府による武器弾薬の搬出に反発して鹿児島の弾薬庫を襲撃。中原らは激発した私学校生徒らに捕縛され拷問により「西郷暗殺」を指示されていたという言質を取られてしまう。これを引き金として、明治10年(1877年)3月、西郷は軍勢を率いて東京への進撃を開始し、半年に及ぶ西南戦争が始まった。繰り返すが、西郷暗殺の言質は拷問によって取られたものであり、大久保が西郷暗殺を指示したという明確な証拠はない。
西郷軍は熊本城に籠もる谷干城に降伏を勧告するが、谷はこれを拒否し籠城戦が始まる。しかし、西郷軍が熊本城に手間どっている間に政府軍は福岡・大分・八代から西郷軍を攻撃、これらの攻勢に耐え切れずに西郷軍は瓦解、明治10年(1877年)9月1日、鹿児島の城山において西郷が自刃したことにより西南戦争は終結した。
西南戦争の翌年、明治11年(1878年)5月14日、紀尾井坂(東京都千代田区)にて暗殺される(紀尾井坂の変)、暗殺直前、西郷からの手紙を読んでいたという。
墓所は東京都港区の青山霊園にある。
この時、ロンドンタイムスは「大久保利通氏の死は日本国の不幸である」と報じる。
余談
- 囲碁が大好きだった。「私から囲碁を取ったら死にます」と言ってた程。これが元で島津久光に気に入られた。
- 小さい頃からイタズラ好きであり、西郷や家族をよくからかっていた。桜島の噴火口に石を投げたことがあるほどであるという。
- 西洋かぶれとして知られ,明治初期にあってはとても西洋風の生活をしていた。洋装を日常で着、オートミールとコーヒーの朝食を摂り,洋館に住んでいた。
- 自他共に認める大のタバコ好きで、子供達が朝晩パイプを掃除しなければすぐに目詰まりするほどのヘビースモーカーだった。飲み物は熱湯で煎れた玉露を好み(※玉露は普通、熱い湯では煎れないものである)、後年には紅茶やコーヒーを常飲するようになった。大好物の漬物はとにかく種類が多くないと嫌で、少ないと機嫌が悪くなったという。パンとジャムの朝食でも必ず漬物を何種類か用意させていた。甘党で知られる西郷ほどではないが甘いものも好きだった。この生活習慣と日頃のストレスのため、胃痛に悩まされていた。
- 洋装をし、顎ひげを生やした写真を西郷隆盛に送ったが、似あわないからやめたほうがいい、と西郷にたしなめられたという。
- 当時としては非常に家庭的な人物(家庭人)であり、子供や妻をいたわった。家族となかなか一緒に食事が取れない日が続くと、休日には妻の親族や知人を呼んで、自邸で食事会を開いた。また、子どもたちの将来学びたい学問に関しても、否定から入るのではなく、まずは子どもたちの意見を聞いた上でアドバイスをしている。
- 公務に対しての冷徹さではひときわ際立った。これは当時からも有名であった。例えば、誠忠組時代からの盟友である伊地知貞馨(堀次郎)が琉球から賄賂を貰っていたことが発覚した際には、容赦なくクビにした。ただし、事務面で部下の責任は自分が取る方針で、大久保に育てられて出世した人物からは生涯恩を感じられていた。部下の話を丁寧に聞き、例え部下のアイデアが適切ではなかった場合でも決して頭ごなしに否定はせず、「もう一度よく考えてみたらどうだい?」と対応した。その点では現在も大久保を理想の上司と見る意見は多い。
- 明治政府の実権を握っていたことから、私腹を肥やしていたのだろう、と思われていたが、実際には不足した公金を補填するための借金が残されていた。死後、その事実が判明した折、このままでは残された家族が路頭に迷うから、学校建設に鹿児島県庁に寄付したものを回収して遺族に返したという。
- 岩倉使節団からの帰国後、内政や台湾出兵問題をめぐって木戸孝允と対立し「口もきかない」と言われるほど不仲となったが、木戸の政治的識見の高さは認めていた。
- また、司法卿の江藤新平とは「犬猿の仲」と言われるほど仲が悪く、佐賀の乱で江藤が捕らえられた際は即日死刑を結審し「江東(ママ)醜体笑止なり、今日は都合よく済み大安心」という言葉を残しており、数少ない大久保が私情で動いた事柄として知られている。一方江藤の弁論の鋭さと立法に関する優秀さは認めており、それ故に最も脅威に思っていたとも考えられている。事実征韓論に関する閣議では一度完全に論破されている。
- 渋沢栄一曰く、「理財の実務を知らない上に真理も理解しがたい」 収支の帳尻を合わせることに長けていた井上や渋沢と、新政府の基盤づくりにあればあるだけ予算をつぎ込む大久保とは反りが合わなかった。ただし「底が何れぐらゐあるか全く測ることの能きぬ底の知れない人」(原文ママ)とその規格外さは認めている。
- 当時の日本軍の将校などが大久保にモノ申そうと挑んでも、迫力と威厳の前にかなわなかった。例えば、桐野利秋は素面では大久保の議論に勝てそうもないと悟り、酒を飲んでから大久保に怒鳴り込みに行ったが、大久保の強烈な視線により立ちすくんでしまい、酔いも一気に醒めたという。
- 西郷(及びその弟子たち)が「西南戦争」を起こしたと知ったときには「西郷がそんなことをするわけがない」と最後まで信じず、事実とわかったときには「西郷を説得に行く」と言ってきかず、伊藤博文らが「行けば必ず殺される」とようやくあきらめさせたという。
- その後も立場上は政府側の長として討伐軍を指揮する一方、西郷の安否を常に気にかけ、「絶対に西郷を死なせるな」と戦地の将兵達に厳命した程だったが、その甲斐なく西郷の死亡が確認された事が報告されると嘆き悲しみ、号泣したという。
- 西南戦争の事後処理が終わって間もない頃、部下に「夢の中で西郷と口論して、最終的に突き落とされる」不吉な夢を見ると呟いたが、それから間もなくして紀尾井坂の変が起こった。その話を聞いた一部の薩摩出身の閣僚の間では「西郷どんが迎に来たのかもしれない」と囁かれたという。
- 故郷の鹿児島では現在も神様的存在と見られることが多い西郷とは対照的に、大久保の人気は政治家としての力量や信念や功績が見直されて再評価も年々高まりつつも総合的には現在も低め。理由は様々で、明治維新に活躍した武士を士族と改めて扱いをないがしろにしたり廃藩置県を断行したという保守的かつ封建的な見方や、親友の西郷を結果的に死に至らしめたなどである。
フィクションの中の大久保
大久保利通を題材にした人物、またはモチーフにしたキャラクターが登場する作品。
るろうに剣心
CV:坂口芳貞、大塚明夫 (PS 維新激闘編)、松山鷹志(新アニメ版)
演:宮沢和史 (実写映画)
京都編にて登場。→大久保利通(るろうに剣心)
翔ぶが如く(大河ドラマ)
司馬遼太郎の小説を原作としたTVドラマ。演じた俳優は鹿賀丈史。
これまでドラマではどちらかと言えば嫌われ役であった大久保を西郷と同じ扱いのダブル主役という形でスポットを当て、西郷との友情と国家の狭間で苦悩しながら己が進む道を貫く人物として、全体的に好意的な印象で大久保という人物を描いている。鹿賀氏の名演技も手伝い、ドラマでの大久保利通を観るには決定版ともいうべきドラマ。
それまで不当に嫌われてた面が多く、冷血漢と一部の歴史ファンや地元鹿児島などでも悪口を言われてきた大久保の決定的な再評価を促した作品である(逆に長らく「大西郷」と神格化されてきた西郷の大久保たちの立場から見た場合の時折見せた不適切な言動や行為も歴史ファンや鹿児島県でも再認識されて、「西郷の偉大さは当然ながら、それに伴う根拠なき盲信された面は再考の余地あり」という見解も促した)。
とはいえ、地元鹿児島での大久保の人間性もこの作品で見直されて、その評価もそれ以前よりは格段に高くなったものの、相変わらず西郷に比べてはかなり低いが…
なお、鹿賀は後に同じく西郷隆盛を主題とした大河ドラマ『西郷どん』にて、島津斉彬の父:斉興役で出演している。
ラヴヘブン
乙女パズルゲームの登場キャラクター。→大久保利通(ラヴヘブン)
薩摩藩士であり明治維新の元勲。
西郷隆盛・桂小五郎と並んで「維新の三傑」と称されている。
何故か西郷隆盛に対して教育する時だけ厳しくなるらしい。(ゲーム内プロフィールより引用)
異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。
Rise of the Ronin
CV:てらそままさき
ゲーム『Rise of the Ronin』の登場人物。→大久保利通(ライズオブローニン)
アクションゲームゆえ、武術は不得意だった史実と違って大太刀使いとして戦う。仲間スキルは攻撃を溜めてる最中怯みにくくなる「堅忍不抜」。
関連タグ
関連要素(メディア系)
関連要素(史実系)
吉田茂…義理の孫(孫娘の夫)。後に内閣総理大臣となる。
堀内詔子千聖…利通の次男で牧野家の養子になった牧野伸顕の筋の子孫。
山縣有朋…同じ性質の辣腕政治家、ただし、清廉潔白な大久保とちがい、汚職事件に関与して西郷隆盛に救われた過去もある。総理大臣・内務大臣・参謀総長などを歴任し元老としても独裁的な権勢を誇った。
麻生太郎…吉田茂の孫で、利通にとっては玄孫にあたる。祖父と同様内閣総理大臣となる。先祖の大久保の様な清廉潔白な人物ではなく数々の失態を起こし続けている。また、上記の山縣有朋と比べても政治権力や人間としての器は比較にならない程低い。