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稲葉篤紀

いなばあつのり

愛媛県出身の元プロ野球選手。
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概要

出身愛媛県北名古屋市
生年月日1972年8月3日
身長・体重185cm、94kg
投球・打撃左投左打
守備位置外野手一塁手
プロ入り1994年ドラフト3位
引退2014年


血液型はO型。

1994年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。2004年オフ、メジャーリーグ移籍を目指したが、獲得に名乗りを挙げる球団がなく断念。その後北海道日本ハムファイターズに入団。打撃改造に取り組み、2006年にはリーグ優勝と日本一に貢献。2009〜2011年の間キャプテンを務めた。

ヤクルト時代は色々あったが、今ではすっかりハム色に染まり、一時期は「エロ爽やか」というキャッチコピーがついていた。
右頬に特徴的な大きな痕があるが、自著によると原因不明とのことである。

外野守備も定評があり、2009年シーズンまではライトが定位置。
2010年中盤からは高橋信二の死球離脱や陽の台頭もあってファーストへ。以降ほぼ一塁手となりつつある。

2006年〜2009年は4年連続でベストナイン&ゴールデングラブ賞を受賞。
2008年7月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で通算1500試合出場と通算1500安打を同時達成。
2-12年4月28日の楽天戦では2000本安打を、5月4日オリックス・バファローズ戦にて250本塁打達成。

2012年開幕から2番打者として抜擢され(その後5番に落ち着く)、打撃絶好調。バントもちょくちょくこなすようになった。

別名「優勝請負人」
その所以は、稲葉が所属した2チームで従事した5人の監督(ヤクルト時代:野村克也若松勉、日本ハム時代:トレイ・ヒルマン梨田昌孝栗山英樹)全てを優勝に導き、胴上げしている為である。

2014年9月2日、2014年シーズンでの引退を発表。
引退会見にて、北海道に家を建設しており、今後は指導者として若い人を育てていきたいという夢を語った。

10月5日の引退試合には5番・ライトで先発出場。2回からはファーストに回り、フル出場した。3打数無安打に終わったものの、チームは1-0で勝利した。
試合後行われた引退セレモニーでは「中田翔をよろしくお願いします」と後継指名した。
その後チームメイトの手によって胴上げされ、スワローズで10年、ファイターズで10年プレーしたという意味を込めて10回宙を舞った。

その後のクライマックスシリーズに出場。
ファーストステージのオリックス戦では2試合目・3試合目にて代打で登場。
両試合ともタイムリーを放ち、勝負強さが今だ健在であることを証明した。

引退後は解説者のほか、スポーツ・コミュニティ・オフィサーとしてファイターズと専属マネジメント契約を交わし、野球競技の普及や講演会、他スポーツ団体との交流活動などを行っている。
また、野球日本代表の打撃コーチも務めている。


稲葉ジャンプ

得点圏にランナーがいると、通常の応援歌の前にオプションとしてジャンプがつく。内野席まで巻き込んでドームを揺さぶるスペシャル応援は、稲葉本人も大好きである。

「だってジャンプの前に”稲葉”ってつくんだよ?」(本人談)

「I Was Born To Love You」がこのチャンス時のみ登場曲として流れる。
この雰囲気と稲葉ジャンプの振動は対戦相手にとっても脅威である模様。テレビ中継では稲葉ジャンプ時にカメラもグラグラ揺れるため、テレビからでも揺れの凄さがわかる。
2011年シーズンは未曽有の大震災に配慮して自粛されたがCSファーストステージにて復活。
引退発表をしてからはランナーの有無に関わらず、すべての打席で稲葉ジャンプが取り入れられている。
なお一部の野球場に置いては稲葉ジャンプは危険行為として禁止されており、そのような野球場では飛ばずに膝を曲げて身体を上下させる「稲葉スクワット」が取り入れられている。

エピソード

  • 喋るとき間投詞「ね」をたくさん使う。
  • 2008年の北京オリンピックで結果を残せず帰国したが、札幌ドームでの復帰戦でファンの暖かい声援に触れ「涙でボールが見えなくて三振してしまった」と語った。
  • 愛煙家であったが2010年に禁煙に成功
  • 選手納会の賞品であった美顔器を愛用中
  • 「おばさんファンは裏切らない」
  • 「ピザ食うか?」


関連項目

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