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路線データ編集

路線名花輪線
ラインカラーワインレッド
路線区間
  • 好摩〜大館(正式区間)
  • 盛岡〜大館(運行系統上)
路線愛称十和田八幡平四季彩ライン
路線距離106.9km
軌間1,067mm
駅数
  • 27駅(正式区間)
  • 33駅(運行系統上)
最高速度85km/h
非電化区間全線
単線区間全線
閉塞方式特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
保安装置ATS-SN
運転指令所盛岡総合指令室(CTC)
第一種鉄道事業者東日本旅客鉄道(JR東日本)

概要編集

好摩駅(岩手県盛岡市)と大館駅(秋田県大館市)を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)鉄道路線で、地方交通線。愛称は「十和田八幡平四季彩ライン」。

起点の好摩駅に乗り入れる全列車がIGRいわて銀河鉄道線の盛岡駅まで直通する。その為盛岡駅では下りの一番列車と上りの東北本線直通列車を除き全てIGR側のホームを使用する。またIGRには「甲種内燃車運転免許」(気動車の運転免許)を所有する運転士がいない為、JR東日本の乗務員がIGR線内も乗務する。


盛岡駅〜十和田南駅間で東北自動車道及び国道282号と、十和田南駅〜大館駅間で国道103号と並走する。

険しい奥羽山脈を横断する為、特に大雨による影響を受けやすくしばしば運休が発生する。


また松尾鉱山や尾去沢鉱山からの貨物輸送でも恩恵を蒙っていたが1972年(昭和47年)に松尾鉱山、1978年(昭和53年)に尾去沢鉱山が閉山し打撃を受け、貨物列車国鉄末期の1984年(昭和59年)2月1日に廃止。さらに1970年代からのモータリゼーションの発展、1980年代に東北自動車道が開通したことで八幡平への観光客などをマイカー高速バスに奪われ、沿線の過疎化が進行していることもあり苦戦を強いられている。


直通運転編集

好摩駅〜盛岡駅間でIGRいわて銀河鉄道に乗り入れる他、同線を経由して以下の区間まで直通運転を行なっている。


・東北本線:盛岡駅〜日詰駅


2002年(平成14年)11月30日まで好摩駅〜盛岡駅間も東北本線。


2008年(平成20年)3月14日まで以下の区間でも直通運転を行っていた。


奥羽本線:大館駅〜秋田駅


沿革編集

開業〜全線開通まで編集

花輪線は二区間に分けて開業している。

大館駅〜陸中花輪駅(現・鹿角花輪駅)間は1914年(大正3年)7月1日に私鉄の秋田鉄道によって大館駅~扇田駅間が開業した事が始まりで、延伸を繰り返し1923年(大正12年)11月10日に全線開通した。


一方で好摩駅〜陸中花輪駅間は1922年(大正11年)8月27日鉄道省官制鉄道花輪線として好摩駅〜平館駅間が開業したのが始まりで、1931年(昭和6年)10月17日に陸中花輪駅まで延伸した。

ちなみに毛馬内駅(現・十和田南駅)から東北本線(現・青い森鉄道線)の三戸駅まで鉄道を敷設する構想があったが断念している。


全線開通後〜国鉄分割民営化まで編集

1934年(昭和9年)6月1日に秋田鉄道が国に買収され、全線が花輪線となった。

その後しばらく大きな動きはなかったが、1971年(昭和46年)9月30日蒸気機関車の運用が終了し無煙化を達成。しかしこの頃からエネルギー政策の転換や日本各地での鉱山の閉山が相次ぎ、前述の通り花輪線も例外ではなく貨物輸送が縮小、1984年に廃止された。


国鉄民営化以降編集

1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、JR東日本が第一種鉄道事業者として継承。その後は急行よねしろ」の快速格下げや、2008年(平成20年)3月15日ダイヤ改正で奥羽本線への乗り入れが終了した事で奥羽連絡路線としての機能は完全に失われ、ローカル線として地域輸送に特化する事となった。


運行形態編集

かつては急行「よねしろ」「さんりく」「みちのく」、快速「八幡平」等の優等列車や首都圏からの臨時列車が運行されていたが、2015年(平成27年)3月14日ダイヤ改正で「八幡平」が廃止されて以降は普通列車のみ運行している。


好摩駅が起点だが国鉄時代からずっと好摩駅から盛岡駅まで乗り入れている。それはこの区間が2002年12月に東北新幹線八戸駅延伸開業でIGRいわて銀河鉄道に移管されてからも継続している。なお現在は上りの鹿角花輪駅発の一番列車が盛岡駅からさらに花巻駅方面に向かい日詰駅行として毎日運行されている。これは2019年(令和元年)9月に岩手医科大学附属病院紫波郡矢巾町へ移転したためもある。


大半の列車が盛岡駅〜大館駅間の運行だが、下り5本・上り6本と本数は非常に少ない。最大3時間程度列車間隔が開く時間帯が存在する。区間便として荒屋新町駅・鹿角花輪駅発着の列車が設定されている。


「よねしろ」や「みちのく」が設定された頃から大館駅から奥羽本線を走り秋田駅弘前駅まで乗り入れていたが、定期列車の乗り入れは2008年3月15日のダイヤ改正で無くなり現在では臨時快速「花輪ばやし号」の乗り入れも無くなっている。


国鉄時代に東北本線で事故や災害が発生した際には、北上線陸羽東線とともに優等列車の迂回運転に利用された。1966年8月に台風の被害で東北本線浅虫駅(現・浅虫温泉駅)付近が不通となり、特急「はつかり」が盛岡駅~青森駅間を本来の尻内駅(現・八戸駅)経由ではなく大館駅経由で花輪線と奥羽本線を迂回運転している。


駅一覧編集

運行形態に則りIGR区間も記載する。


駅名乗換路線備考
東北本線日詰駅まで直通運転
盛岡
  1. 東北新幹線
  2. 秋田新幹線
  3. 東北本線
  4. 田沢湖線
  5. 山田線
一部JRホーム発着
青山
厨川
巣子
滝沢
渋民
IGRいわて銀河鉄道/↓JR東日本交流電化/↓非電化
好摩IGRいわて銀河鉄道目時方面IGR管理駅
東大更
大更1972年10月まで松尾鉱山線が接続。
平館
北森
松尾八幡平旧名「岩手松尾」
安比高原旧名「龍ヶ森」
赤坂田
小屋の畑
荒屋新町
  • 当駅発着あり
  • 扇形庫と転車台が現存
横間
田山
兄畑
岩手県/↓秋田県
湯瀬温泉旧名「湯瀬」
八幡平旧名「小豆沢」
陸中大里
鹿角花輪
  • 当駅発着あり
  • 旧名「陸中花輪」
柴平
十和田南
末広旧名「毛馬内(初代)」
土深井旧名「尾去沢」
沢尻
十二所
大滝温泉
扇田
東大館
大館奥羽本線

使用車両編集

現在の使用車両編集

盛岡車両センター所属の気動車。全ての定期列車で使用される。


秋田総合車両センター南秋田センター所属の検測車


過去の使用車両編集

ターンテーブルに収まらないためC58を投入出来なかった事情から1971年9月に花輪線が無煙化されるまでずっと運用され3重連運用も行っていた。1960年末期からのSLブームでは東北地方では東北本線の十三本木峠(奥中山)越えや奥羽本線旧線の矢立峠越えと共に龍ヶ森越えの三重連が注目され、龍ヶ森駅(現・安比高原駅)周りに全国から鉄道ファンが多く集まり活況を呈したため「龍ヶ森銀座」と呼ばれた。


国鉄時代から客車列車や貨物列車の牽引を担当したディーゼル機関車

一番のハイライトは青森車両センター(現・盛岡車両センター青森派出所)所属車が1997年~2002年のスキーシーズンに上野駅発安比高原駅行の臨時寝台急行「ホワイトスノー安比(翌年から「ホワイトスノー安比・盛岡」)」の盛岡駅以北を重連で牽引したことであろうか。


国鉄時代、ローカル列車で運用されていた。急行用車両の不足から2エンジン車のキハ51の一部は急行色に塗り替えられて運用された。


特に2エンジン車のキハ52が重宝され国鉄民営化後も生き残ったがキハ110系に置き換えられ引退。その他キハユニ26なども運用されていた。


「よねしろ」や「はちまんたい」などで使用されていた。


盛岡車両センター所属の気動車。キハ110系に置き換えられ引退。


盛岡車両センター・秋田車両センター(現・秋田総合車両センター南秋田センター)所属の急行型気動車。キハ28は秋田車のみ。

秋田車は主に「よねしろ」や「第1みちのく」を始めとする急行や奥羽本線直通列車、盛岡車は民営化後は快速「八幡平」や普通列車としてキハ110系に置き換えられるまで運用された。


  • キハ58形・28形「kenji

盛岡車両センター所属のジョイフルトレイン。「花輪ばやし」期間中に運行された臨時快速列車「花輪ばやし号」として花輪線に入線していた。


尾久客車区(現・尾久車両センター)及び青森車両センター所属の客車。臨時寝台急行「ホワイトスノー安比・盛岡」で使用。編成は運行年度によって異なるが、寝台特急北斗星」仕様の編成が間合運用された事もある。


(番外)

「はつかり」の迂回運転で一度だけ入線した。


関連タグ編集

JR東日本 東北本線 奥羽本線 IGRいわて銀河鉄道

よねしろ みちのく(列車名)


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