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ジャンヌ・ダルクの編集履歴

2019-09-13 11:05:09 バージョン

ジャンヌ・ダルク

じゃんぬだるく

イングランド王国と戦った「百年戦争」のフランスの国民的英雄、カトリック教会の聖女(聖人)。

百年戦争後期のフランスの国民的英雄。イングランド軍に包囲されていた都市オルレアンを解放した功績から、「オルレアンの乙女」とも呼ばれる。

(仏: Jehanne Darc, Jeanne d'Arc)


史実に伝わる『ジャンヌ・ダルク』

生誕と啓示

復権裁判による資料によると、1412年1月6日生まれ。フランスの片田舎であるロレーヌ地方のドンレミ村の農家に生を受ける。


13歳にして初めて「天の声」を聞き、その啓示に従ってヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会おうとするも門前払いされる。しかし、のちにシャルル7世となる王太子シャルルは、臣下から一足先にジャンヌからの手紙を預かり、ジャンヌを試そうとわざと王の椅子に影武者を座らせ、自身は貧相な格好をして一般人に紛れ込む。そしてジャンヌはこれを見事に見破り、シャルルとの謁見を掴み取る。

謁見の際に二人きりになることを望んだジャンヌによって、シャルルは自身がフランス王となることを告げられ、その"証拠"を見せられ驚愕することとなる。残念ながら、この証拠についてはジャンヌもシャルルも一切資料となるものを残しておらず、現在も謎のままである。とはいえ、シャルルを説得するに値するその"証拠"により、ジャンヌはシャルルの信用を勝ち取る。

聖職者たちも疑心暗鬼であったが、ポワティエでの3週間にわたる審査の結果、彼女を信用するようになる。


オルレアンの奇跡

1429年4月、ジャンヌはフランス軍に加わり、ジャン・ド・ジュノワアランソン公ラ・イル、そしてジル・ド・レェとともにロレーヌ川沿いの都市オルレアンへ向かって出発、そこでイギリス軍と激突することとなる。

この戦いでジャンヌは左肩をで射られる重傷を負うも、命に別条はなかった。しかし、やはり十代の少女ゆえに戦場には慣れておらず、この怪我で不安から泣きだしてしまうという場面もあった。

また彼女は人を殺すことを嫌い、好んで持ちとなったが、常に先陣を切って突撃し、部隊を牽引しながら鼓舞することから絶大な士気高揚効果をもたらしていた。

こうしてジャンヌとフランス軍の勇士たちによって、7ヶ月にわたる包囲網からオルレアンを包囲網から解放することに成功する。


シャルルの戴冠

その後、ジャンヌはロシュ城にいたシャルルにランスにて戴冠式を行うことを進言する。

だがランスに辿り着くにはイギリス軍を突破する必要があり、反対意見も強かった。それでもフランス王家伝統の戴冠式の場で戴冠(当時はランスで戴冠式を行わないと国際社会では正式な王とは認められなかった)は、フランス復権を示すまたとない場であったため、シャルルはジャンヌの進言を受け入れる。途中、立ち寄った都市を次々と傘下に加え、「パテーの戦い」にてイギリス軍を突破して大勝利を収める。そして同年7月17日ノートルダム大聖堂にてシャルルは戴冠式を行い、フランス王シャルル7世となった。


孤立、そして火刑へ……

神託による使命を全うし、カリスマ的人気を誇ったジャンヌだったが、首都パリ奪還なしに真のフランス復活はないと考えるジャンヌ派と、現状に甘んじる国王側近たちとの対立となり、次第に宮中で孤立していくことになる。

当時の戦争とは、領土と物品の流通権を獲り合う「経済活動」という側面もあり、シャルル7世や貴族たちからすれば、大きく領土を奪還できただけでも十分な成果と言えた。しかし農民の出身で“愛国者として”戦うジャンヌには、そうした政治的な裏話など理解の外であり、政治的な打算に甘んじる上の意思は腑に落としようもなかった。


そして1430年5月23日、コンピエーニュの戦いでフィリップ善良公のブルゴーニュ軍に捕えられ、1万リーブルの身代金と引き替えにブルゴーニュ軍からイングランド軍に身柄が引き渡され、同年12月24日にルーアンのブーヴルイユ城に監禁される。

その後度重なる審問の末に、ジャンヌは悪魔と交信した魔女と断定されてしまう。

裏には権力者たちによる利権への偏執が渦巻いており、「シャルルの戴冠に大きな役割を果たしたジャンヌが異端だったとなればシャルルの王位の正当性を揺るがせるだろう」という考えや、「ジャンヌを野放しにすればその奇跡で裁かれるのは自分たちでは」という猜疑心に駆られ、徹底した尋問が為されたという。しかしジャンヌも無学な農民とは思えない聡明さで弁明し、薄汚れた権力者たちに付け入る隙を与えなかったという。

最終的には、文盲に等しかった彼女に「無罪判決の証書」と偽り、「魔女認定の証書」にサインさせるという狡猾な罠で、彼女を意地で魔女認定してしまったともされている。


1431年5月30日、遂に異端者として破門され、火刑台にて僅か19年の短い生涯を散らせることとなった。フランス解放のためにオルレアンへ出発して2年目のことだった。

火刑は最後の審判よる「死後の復活」を信仰の軸にするキリスト教にとって、復活のための肉体を奪う極めて重い処刑法であった。

ジャンヌに対するそれは常軌を逸しており、一度焼いた遺体から臓物を引きずり出して子宮を晒しものにし、その上でもう一度骨さえ残さず灰にして、セーヌ川に撒いたと記録されている。


復権

彼女の裁判に政治的な圧力の影が見られるとして、裁判のやり直しが提唱されることとなる。

シャルルはこの復権裁判のために慎重に事を進めていたが、イングランド占領下の状況のために長らく法廷を開く事が出来なかった。

フランス軍が勝利を重ね、イングランドの影響力が弱まるに連れ、復権裁判に向けて協力的な態度を取る者が増えていった。

この裁判でジャンヌの異端者の烙印を取り下げられ、彼女がキリスト教徒に戻ったのは、彼女の死後から25年経った1456年7月7日であった。

だが、この後ジャンヌの功績は地元以外では忘れ去られていった。しかし、かの皇帝ナポレオンが彼女の功績を発見し、フランスのシンボルとして掲げた事で再評価の機運が起こり、像が各地に建造された。


列福・列聖

さらに時を経た1909年4月18日、ローマ教皇ピウス10世によって列福され、ついで1920年5月16日にはベネディクトゥス15世(21世紀最初の教皇ベネディクト16世が教皇名の由来の一つとした人物)によって聖列に加えられ、名実ともにオルレアンの聖女となった。列聖までにほぼ489年を要しているが、そもそも列聖につながる運動が始まったのが19世紀半ばのオルレアン大司教フェリックス・デュパンルーの演説がきっかけであり、そこから数えると実質的に要した期間は70年ほどである。


史実に語られる人物像

良くも悪くも、とにかく純真で情熱的。

熱心なキリスト教信者であり、一度使命感に駆られるとどこまでも突き進む性格が見て取れる。よく言えば"純粋"、悪く言えば"盲目的"といえる。

若さゆえ…』という見解もできるが、シャルル戴冠後の彼女を見るに、かなり頑固で猪突猛進な気質が見て取れる。また政治的なことよりも宗教的な興味の方が強すぎたことも、彼女の孤立につながったとも考えられる。

しかし、こうした打算や計略によらない純粋さが、多くの人々の心を動かしたこともまた事実である。

無学な農民であったが、その聡明さ、弁論の力強さと理路整然たる様は、彼女と相対した権力者たちの多くが舌を巻いたという。この聡明さにより明確な勉学が身に着けば……と、考えれば権力者たちが邪推に駆られた一端も見えてくるだろう。


一方、学の浅さがイギリスをはじめ敵国の憎悪を煽った側面もある。

当時の戦争はまだまだ形式張った箇所が多く、会敵してすぐには攻めず、双方の状態と威儀を正してから同時に激突するのが常であった。

しかしジャンヌはこうした戦場の“暗黙のルール”を知らず、敵陣の威儀が整う前に突撃し、敵軍を混乱に陥れる様な攻め方を度々おこなったという。

また常識にとらわれず、矢が尽きれば砲を持ち出し、攻城兵器がなければ櫓をぶつけ、敵勢を切り崩すために夜討ち朝駆けも平然と敢行し、挙句は戦闘後は身代金を対価に解放するのが通例の捕虜たちを全員処刑するなど、その戦い方はもはや国軍ではなく武装ゲリラの様相だったとか。

「祖国を救う=敵を完膚なきまでに叩いて追い出す」という、“経済政策としての戦争”を知らない農民出身だから出来た戦い方だった。

これが破竹の勢いの快進撃につながったと同時に、敵には情け容赦しない“野蛮さ”として映り、敵国に無数の遺恨を生み出し、魔女裁判にかけられる遠因となった。


なお容姿については諸説あるが、明確な資料はなく、と言うことは当時としては平均的な(特筆に値しない)容姿であった可能性の方が高いと思われる。しかしながら、男所帯でむさくるしい軍隊の中に、年端のいかない少女の存在は非常に美しく見えたに違いないだろう。

同時にいわゆるセクハラ等の被害を避け、女として軽んじられないよう、平素は男装して毅然と振る舞っていたらしく、その甲斐あって兵士たちも彼女を“ただの農民上がりの少女”ではなく同志として受け入れるようになったといわれている。

ただこの男装は、のちに異端審問で彼女に裁判での不利をもたらす要因ともなってしまった(当時のキリスト教では異性装は禁忌とされていたため)。

なお、男衆に混じって平気で雑魚寝したり、戦支度のために着替えたりしたため、後の復権裁判において戦友だったアランソン公ジャン2世に、「ジャンヌは美しい乳房だった」と証言されていたりする(誤解のないよう補足しておくが、「ジャンヌのあられもない姿を見てしまったが、それでも劣情を抱くことはなかった」という趣旨の証言である)。


関連イラスト

Jeanne d'Arc


関連タグ

カトリック 聖女 戦闘少女

オルレアンの乙女

百年戦争 フランス イングランド

欧州史 ヨーロッパ

ジャンヌダルク ジャンヌ


他の用例

日本でもジャンヌ・ダルクを題材にした作品は非常に多い。また、実在のジャンヌ・ダルクにちなんでキャラクター・事物等が命名されていることもある。


史実の本人と同一人物(という設定)のもの

  1. PSP用ゲーム『JEANNE D'ARC』または、そのキャラクター
  2. 携帯アプリゲーム『オルレアンの乙女 〜ジャンヌ・ダルクの物語〜』
  3. PS3Xbox360ゲームブレイドストーム」のキャラクター。後に無双OROCHI2にも参戦。
  4. 漫画『魔法少女たると☆マギカ』に登場するキャラクター。⇒タルト(魔法少女たると☆マギカ)
  5. ロードオブヴァーミリオンⅡのキャラクター→詳しくはジャンヌ・ダルク(LoV)を参照。
  6. ヘタリアに時々出てくる女の子あのこ:ヘタリア
  7. ADK格闘ゲームワールドヒーローズ』に登場するキャラ⇒ジャンヌ(ワールドヒーローズ)
  8. 漫画「ドリフターズ」の登場人物。⇒「ジャンヌ・ダルク(ドリフターズ)
  9. Fateシリーズの一作「Fate/Apocrypha」に登場するサーヴァントの一人。⇒ジャンヌ・ダルク(Fate)・・・のちにその悲惨極まる最期を受け止めることができなかった可能性の具現でもある反転存在も生まれた。⇒ジャンヌ・オルタ
  10. イナズマイレブンGOクロノ・ストーンの登場人物。⇒ジャンヌ・ダルク(イナズマイレブンGO)
  11. 漫画『最後のレストラン』の登場人物。
  12. 桃太郎電鉄WORLD』に登場する歴史ヒーロー。
  13. 山岸凉子の伝記漫画『レベレーション─啓示─』のヒロイン。
  14. アニメ『神撃のバハムートGENESIS』と『神撃のバハムートVIRGINSOUL』の登場人物。→オルレアン騎士団を率いる女騎士として登場。グラブルなどにも。⇒ジャンヌダルク(神撃のバハムート)ジャンヌ・ダルク(グラブル)
  15. アニメ『タイムボカン24』のアラフォー寸前魔法少女真歴史
  16. 携帯アプリゲーム「消滅都市」の「タマシイ」の一人。
  17. ソーシャルゲーム#コンパス~戦闘摂理解析システム~」のヒーロー⇒ジャンヌダルク(#コンパス)

血縁等の関わりを持つ者

  1. 神風怪盗ジャンヌ」のキャラクター
  2. ライトノベル及びアニメ、「緋弾のアリア」のキャラクター→ジャンヌ・ダルク30世

名称のみ同一

  1. 日本のヴィジュアル系ロックバンド『Janne Da Arc』(→ Janne_Da_Arc
  2. 機動戦士Vガンダムに登場する宇宙戦艦ラー・カイラム
  3. フランス海軍の練習巡洋艦(軽巡洋艦)『ジャンヌ・ダルク(Croiseur-École Jeanne D'Arc)』
  4. 上記の練習巡洋艦をモチーフにした艦船擬人化キャラクター『ジャンヌ・ダルク(戦艦少女)
  5. フランス海軍のヘリ空母『ジャンヌ・ダルク(Porte-hélicoptères Jeanne d'Arc, R97)』。名前は前述の練習巡洋艦から継いだ。

PSP用ゲームの『JEANNE D'ARC』について

JEANNE D'ARC(ジャンヌ・ダルク)は、2006年にソニー・コンピュータエンタテインメントから発売されたレベルファイブ開発のプレイステーション・ポータブル用ゲーム。

ジャンヌ・ダルクをヒロインとし、史実にファンタジー要素を多分に加えたフィクション作品。


ロジェリアンなどのオリジナルキャラも登場し、この物語ではジャンヌは生存しており、代わりに親友であるリアンが身代わりに処刑されてしまう。また最後に主人公はヘンリー6世と和解する。


pixivではカタカナでの「ジャンヌ・ダルク」が用いられている。

とらわれたこころJEANNE D'ARC


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