白露型駆逐艦
しらつゆがたくちくかん
「マル1計画」および「マル2計画」により大日本帝国海軍が建造した艦隊型駆逐艦。
ロンドン海軍軍縮条約下で建造された初春型の改良版であり、第四艦隊事件の結果を踏まえ初春型の過度の重武装と軽量化を改めたもの。しかし結局、初春型・白露型のような中型駆逐艦では艦隊型駆逐艦として海軍が要求した性能を満足させるのは無理と判断され、10隻で建造は打ち切られ、排水量を2000トンクラスにまで大型化した朝潮型が建造されることになった。
概要
主兵装として12.7cm連装砲C型を2基4門、12.7cm単装砲B型を1基、4連装魚雷発射管2基8門を搭載。なお、四連装魚雷発射管を搭載したのはこの白露型が初である。大戦後期には対空機銃を増設するため単装砲を下ろしている。
性能不足の評価から、水雷戦隊としての活躍よりも護衛任務・輸送任務などに従事することが多かったが、その先で凄まじい武勲を挙げたり、絶望的な戦力差の激戦を生き延びる艦が存在するなど、陽炎型駆逐艦に次ぐ突出した活躍を見せた艦級である。
なお、太平洋戦争開戦時、白露と時雨が戦艦の護衛として第一艦隊・第一水雷戦隊に、他の白露型はすべて輸送任務を主とする第二艦隊・第四水雷戦隊に所属していた。
1943年以降は、前マストに22号電探を装備しており、加えて時雨と五月雨は1944年後半時点で13号電探を追加で装備している。また正確な改装時期は定かではないが、開戦段階で九三式水中聴音機および水中探信儀を追加装備、爆雷を増設している。
海風以降の4艦は第四艦隊事件の影響で設計が若干改められ、改白露型もしくは海風型と呼ばれることもある。艦橋形状が後の朝潮型や陽炎型と同一形状になっているのが最大の差異であった。
前期型、後期型ともに速力は34ノットと日本軍の駆逐艦にしては低速(ほぼ重巡洋艦並)であったが、主任務であった戦艦や輸送艦などの護衛には十分ではあったし、実用段階での実績はほぼ35ノットと、後継艦の朝潮型や陽炎型とほぼ同じであった。
性能不足と判断された要因の一つとされる航続距離も、計画段階で想定されていたよりも遥かに長く、海軍の当初の要件をほぼ満たしていることが実用段階で判明している。
白露型の設計は、(より後期に設計された陽炎型や秋月型、松型を差し置いて)はるかぜ型護衛艦の原型となり、護衛艦の礎を築いた。これは、汎用護衛艦として白露型の性能・サイズがちょうどよかった(陽炎型並みでは過剰性能であり、秋月型は大きすぎ、松型では性能不足だった)ことによる。
同型艦
白露 (しらつゆ)
竣工1936年8月20日(佐世保工廠) 戦没1944年6月15日
時雨 (しぐれ)
竣工1936年9月7日(浦賀船渠) 戦没1945年1月24日
村雨(むらさめ)
竣工1937年1月7日(藤永田造船所) 戦没1943年3月5日
夕立(ゆうだち/ゆふだち)
竣工1937年1月7日(佐世保工廠) 戦没1942年11月13日
春雨 (はるさめ)
竣工1937年8月26日(舞鶴工作部) 戦没1944年6月8日
五月雨(さみだれ)
竣工1937年1月29日(浦賀船渠) 戦没1944年8月26日
海風(うみかぜ)
竣工1937年5月31日(舞鶴工作部) 戦没1944年2月1日
山風(やまかぜ)
竣工1937年6月30日(浦賀船渠) 戦没1942年6月23日
江風(かわかぜ/かはかぜ)
竣工1937年4月30日(藤永田造船所) 戦没1943年8月6日
涼風(すずかぜ)