概要
甲斐国の百姓の春日大隅の子として生まれる。
父が亡くなった後、武田信玄のもとに仕え、奥近習として抜擢される。足軽大将に昇進すると、春日弾正と名乗った。その後、越後国の上杉軍の対する最前線にあたる海津領の守りに任される。
信玄からの重用も厚く、衆道の関係にもあったという。
また高い分析力と指揮力を有し、決して強引な攻めをしない引き際を知る戦いぶりから、真田幸隆の“攻め弾正”と対を成す【逃げ弾正】の異名も取ったという。
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2014-09-04 16:56:14 バージョン
こうさかまさのぶ
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