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高坂昌信の編集履歴

2014-09-04 16:56:14 バージョン

高坂昌信

こうさかまさのぶ

高坂昌信(大永7年(1527年)-天正6年5月7日(1578年6月12日))は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で、武田四名臣の一人である。当初は「春日虎綱(かすが とらつな)」と名乗っていた。

概要

甲斐国の百姓の春日大隅の子として生まれる。

父が亡くなった後、武田信玄のもとに仕え、奥近習として抜擢される。足軽大将に昇進すると、春日弾正と名乗った。その後、越後国の上杉軍の対する最前線にあたる海津領の守りに任される。

信玄からの重用も厚く、衆道の関係にもあったという。


また高い分析力と指揮力を有し、決して強引な攻めをしない引き際を知る戦いぶりから、真田幸隆の“攻め弾正”と対を成す【逃げ弾正】の異名も取ったという。


関連タグ

武田信玄 戦国時代 戦国武将

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