ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

朝顔(駆逐艦)の編集履歴

2014-09-07 17:50:42 バージョン

朝顔(駆逐艦)

あさがお

大日本帝国海軍の駆逐艦の一つ。

概要

若竹型駆逐艦の5番艦。 1922年3月14日起工、1922年11月4日進水。

進水時の名称は第十駆逐艦と呼ばれていたが、1928年8月1日に朝顔と艦名変更された。この経緯は、若竹呉竹早苗早蕨と同じである。

その後、駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。船団護衛に従事した。1944年7月9日海南島三亜海岸で台風のため座礁よ余儀なくされたものの、同年9月25日に離礁、10月15日より護衛活動再開された。1945年に、呉鎮部隊呉防備戦隊に編入したが、航路の途絶、および燃料の不足により、以後は外洋に出ることはなかった。呉在住のまま終戦を迎えた。しかし、同年8月22日に、舞鶴港に回航途中、関門海峡六連島灯台沖で触雷し大破して浸水着底。

このように、大正年間製造の旧式艦ながら、太平洋戦争中は計98回の護衛活動に従事し、終戦時まで生き残った。これは若竹型で唯一の姉妹艦である。

1945年11月30日除籍。

1947年から1948年にかけて,日本サルヴェージにより浮揚解体された。


関連タグ

若竹型 若竹(駆逐艦)

呉竹 早苗(駆逐艦)

早蕨(駆逐艦) 駆逐艦

夕顔(駆逐艦) 芙蓉(駆逐艦)

刈萱

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました