朝顔(駆逐艦)
あさがお
大日本帝国海軍の駆逐艦の一つ。
概要
日米開戦時、外洋航行性能に劣る樅型(準同型艦)は大部分が哨戒艇や雑役船に転籍していたが、若竹型は多くが駆逐艦籍に残され、不向きな船団護衛に従事した。太平洋戦争中は計98回の護衛活動に従事し、若竹型で唯一終戦時まで生き残った。
詳細はWikipedia参照
艦歴
1922年
3月14日
起工。
11月4日
進水。進水時の名称は第十駆逐艦。
1924年
4月1日
名称を第十号駆逐艦に変更。
1928年
8月1日
計画名ではなく艦名「朝顔」が与えられた。(若竹、呉竹、早苗、早蕨、夕顔、芙蓉、刈萱も同様)
1941年
12月8日
日米開戦。船団護衛に従事。
1944年
1月24日
艦首断裂して漂流中の天津風を救援に向かい、サンジャックを経てサイゴンまで曳航。
7月9日
海南島三亜海岸で台風のため座礁。9月25日に離礁に成功。
1945年
4月1日
呉鎮部隊呉防備戦隊に編入し、瀬戸内海にて機雷監視任務に従事。
8月15日
呉で終戦を迎える。
8月22日
舞鶴港に回航途中、関門海峡六連島灯台沖で触雷し大破して浸水着底。
11月30日
除籍。1947~48年にかけて、日本サルヴェージにより浮揚解体された。
諸元
基準排水量 | 820t |
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全長 | 83.8m |
全幅 | 8.08m |
機関出力 | 21,500馬力 |
最高速力 | 時速35.5ノット |
乗員 | 110名 |
兵装 | 12.0cm単装砲×3 |
6.5mm単装機銃×2 | |
53cm連装魚雷発射管×2 |