元プロ野球選手、指導者。宮崎県出身。
高校時代は遠投120メートル、HR35本の強肩強打の捕手として鳴らした。
その後、ドラフト外で日本ハムファイターズに入団し、達川光男に見初められてトレードで広島に移籍すると、スイッチヒッターに転向して、尚且つ内外野守れる便利屋として活躍する。名前がSMAPの木村拓哉と同姓同名、漢字違いでお互い面識もあった。
このまま広島で現役を終えると思いきや、突如トレードで放出され巨人に移籍。最初は出番が無いと自分でも思っていたらしいが、すっかり参っていた巨人を二塁手として支え、後の巨人の三連覇にも貢献した。
2009年現役を引退しコーチに転進。指導者の道を歩み始めた矢先に、マツダスタジアムでクモ膜下出血に倒れ、2010年4月7日死去。享年37歳。奇しくも、現役時代に一番活躍した地で息を引き取った。
新人研修での講義(2010.03.04)より
自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。
それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。
「レギュラーになる、エースになる」だけではない。