ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
編集者:墓石NN
編集内容:いつもの削除荒らしから復旧

備中高松城

びっちゅうたかまつじょう

   備中高松城は岡山県岡山市に存在した城。水攻めで有名である。    

高松城と呼ばれる城は3つ存在し、讃岐国に存在するもの(高松城)、安芸国に存在するもの(熊谷直経により築城されたとの伝承が残る三入高松城)、そしてこの項目で解説する備中国に存在するものがある。

 この城は高松城の水攻めで有名なほうの高松城である。

概要

 この城が築城された時期は不明であるものの、備中三村氏(備中を支配していた戦国大名、当主が宇喜多直家暗殺されたりして勢力を失い、毛利輝元配下の小早川隆景に滅ぼされた)の部下である備中石川氏により築城されたとされるため、戦国時代には設立されていたであろうことは間違いない。

 備中兵乱により備中石川氏が滅亡ののち、その戦乱で小早川隆景の配下となっていた清水宗治が居城とする(この際裏切って高松城を奪取し、直接毛利氏に臣従して城主となったとの説が出るくらいである)。

 その後織田信長の命により羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)により中国攻めが行われた際、黒田孝高考案による水攻めで有名な城である。 実際にこの城は低湿地帯にあり水攻めには最適であった。

 水攻めにより講和となり、城主の切腹により落城。その後宇喜多直家配下の花房正成(幼少の頃から宇喜多家に仕え、宇喜多氏再興にも力を注いだ人物)が城主となり、関ヶ原の戦いののち花房職秀(宇喜多家の家臣、諫言癖がある人物。江戸時代には大身旗本となる)が城主となるものの、その死後一国一城令により廃城となったと思われ、それ以降歴史には登場しない。

pixivのタグ

 9割以上が御城プロジェクト関連のイラストである。そのキャラクター説明に関してはこちら参照

参照

wikipedia高松城_(備中国)およびそのリンク先

関連記事

編集者:墓石NN
編集内容:いつもの削除荒らしから復旧