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八八艦隊の編集履歴2015/03/10 15:40:18 版
編集者:quu@quu
編集内容:文章加筆。

八八艦隊とは、一般に、大正時代に旧海軍が計画した、戦艦長門2隻、加賀型2隻、紀伊型4隻の8隻の戦艦と、巡洋戦艦天城4隻、艦名未定4隻8隻の巡洋戦艦から成る艦隊のこと。8隻と8隻で「八八」艦隊である。なおこれは最終的な構想で手始めとして作られたのは「川内」「摂津」「金剛」である。その後、八四、八六、八八とグレードアップしていった。

日露戦争以来の海軍の悲願であり、第一次世界大戦の戦争景気で予算が通ったのはいいものの、国家予算を食いつぶすような建造費と維持費に先行き不安が持たれていたところに、翌年にはワシントン海軍軍縮条約が結ばれたことで、計画は大半が取り止めになり幻に終わった。おかげで日本の財政は救われた。

完成したのは八八艦隊の最初の2隻の長門型戦艦のみで、ほかに3番艦の戦艦加賀・6番艦の巡洋戦艦赤城空母に改造されて生き残った。

実質は、全て26ノット~30ノットの高速戦艦である。また、最後4隻はのちの大和型戦艦にも迫る46センチ砲8門を備えた大型艦であったと言われている。

他にも・・・

六六艦隊

日露戦争時にあった。八八艦隊の元になった計画である。

八四艦隊

いきなり八八は無理そうだったので金剛型、扶桑型、伊勢型をとりあえず基幹に据えてみた計画

八六艦隊

八四と八八の中間的な計画

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編集者:quu@quu
編集内容:文章加筆。
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