概要
第二次世界大戦中の1944年6月6日、米 英 仏の連合国軍はナチスドイツ占領下のフランス地域への一大侵攻作戦を計画。
正式名称は「オーバーロード作戦(Operation Overlord、大君主)」。
場所はドーバー海峡に面したフランスはコタンタン半島のノルマンディー。本作戦の暗号名と作戦決行日は「D-デイ」と呼び、連合軍側は入念な準備が進められた。一方のドイツ軍も敵の上陸は予測しており、防衛線も張っていた。
1944年6月6日未明。夜間の内に大勢の落下傘部隊が降下し、早朝には大艦隊による艦砲射撃がドイツ軍の要所に向け撃ちこまれ、続いて上陸用舟艇に乗って上陸が決行された。海と空、合わせて約300万人の兵員が動員され、その規模は史上最大と言われ、大戦中有数の戦いに数えられている。
連合軍上陸を受けたドイツ軍は38万人を動員して防衛に急いで抵抗。しかし、ドイツにとって戦局を覆されるほどの打撃となり、ドイツに奪われたフランスは祖国奪還を成した。そして、ドイツは独ソ戦でのソ連軍とともに連合軍から東西挟み撃ちとなり、枢軸国敗北、連合国勝利へ導かれた。
余談
- この時イギリス軍は英国史上最強の英国面珍兵器「パンジャンドラム」を投入しようとして、寸前に中止となった。
- 連合軍上陸を受けて現地前線は本国中枢のヒトラーに判断を直属の装甲師団である第130教導装甲師団と第12SS装甲師団の出撃許可を仰いだが、その時ヒトラーは睡眠中で、睡眠不足で寝起きの悪いヒトラーを起こしてはならない至上命令があり、報告が遅れ、全てが手遅れになっていた。全ての決定が一点に集中した独裁体制だったため、決定機関が不在の場合に機能が麻痺する独裁政治の弱点が露になった。
- またこの時ノルマンディーに展開する第7軍では連合軍上陸に対する対応を検討する為の机上演習が6日にレンヌで企画されており、数人の師団長は不在であった。
- 更にB軍集団司令官であるエルヴィン・ロンメル元帥も6日の妻の誕生日を祝う為に不在であった。