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鳥海(JR東日本)の編集履歴

2015-04-21 17:59:04 バージョン

鳥海(JR東日本)

しんだいとっきゅうちょうかい

「鳥海」号は、かつてJR東日本に存在した寝台特急。上越~羽越線経由で上野と青森とを結んでいた。本稿では後身の「あけぼの」号についても触れる(メイン画像はそれぞれのヘッドマーク)。

日本海軍の重巡は「鳥海」を参照されたし。


JR化後に寝台特急として復活

寝台特急の「鳥海」は、国鉄がJR東日本になって3年が経過した1990年9月より運行を開始した。運行区間は、上野~大宮~高崎~(上越線)~長岡~新津~(羽越線)~秋田~(奥羽線)~青森である。

一方、同じ上野と青森とを結ぶ寝台特急「あけぼの」は1970年に運行を開始、青函トンネルが開通した1988年3月13日の時点では、2往復(国鉄時代は秋田折り返しの1往復を含む3往復だった)が設定された。この「あけぼの」は東北・奥羽線経由(福島より奥羽線に入る)で運行されていたが、山形新幹線の第1次建設工事による福島~山形間標準軌化のため、1往復を上越・羽越線経由に改め、国鉄の終焉にともない一度は姿を消した昼行特急の愛称が復活した。これが「鳥海」である(別の1往復は「あけぼの」のまま、東北線~仙台~陸羽東線(新庄より奥羽線)経由に差し替えられた)。

本列車の運行開始当時、上越・羽越線経由の寝台特急にはすでに「出羽」(上野~秋田)が存在し、多客時には上越・羽越線の寝台特急が2往復あることもあり重宝されたが、間もなく世はバブル崩壊の時期に入り、「鳥海」は3年後の1993年12月1日に「出羽」を吸収する。

さらに1997年3月22日、秋田新幹線の開業にともない「あけぼの」が廃止されたが、この際「鳥海」自らが2代目「あけぼの」に改称2014年3月のダイヤ改定での臨時列車化を経て、2015年1月まで運行された。

車両は24系客車(牽引するカマは長岡以南がEF64、以北がEF81)が使用されていた。


新幹線時代以前の「鳥海」って?

「鳥海」の愛称は実に4代目で、国鉄時代には急行として2度、特急として1度、存在した。


ヨンサントオ以前

1950年12月、上野~秋田を東北本線・奥羽本線経由で運行する夜行急行401・402列車に「鳥海」と命名されたのが始まり。これが初代にあたる。6年後の1956年11月、運行区間を青森駅まで延長し、「津軽」と改称された。この運行区間はのちに前述の特急「あけぼの」が引き継いでいる。

ヨンサントオ~上越新幹線開業前

さらに10年後、上野~新潟~秋田という運行系統でディーゼル急行として「鳥海」が復活した。これが2代目となり、以後「鳥海」は、名は体を表すとはこのことか、より鳥海山に近い羽越線の列車の愛称に用いられる。

1968年10月、いわゆるヨンサントオのダイヤ改定により、同じ上越・羽越線経由の急行「羽黒」も「鳥海」に改称、定期1往復のほかに臨時列車を同数設定、多客期は2往復運転とされた。その後、「あけぼの」の運行開始をはさみ、1972年に「鳥海」は臨時列車1往復を減じ、定期1往復のみとなる。1982年に特急に格上げされ、前述の「出羽」に改称された。

上越新幹線開業後

しかし「鳥海」の愛称は上越新幹線開業後も、羽越線の昼行特急「いなほ」のうち上野発着の1往復を改称する形で残された。3代目「鳥海」である。これには485系が使用されていた。

この3代目は、上越新幹線が上野駅に乗り入れた1985年のダイヤ改定で不定期化され、さらに国鉄の終焉とともに、JR東日本に引き継がれることなく姿を消してしまった・・・が、JR化後、思わぬ形で定期の寝台特急として復活することになる(前述)。


上記のいきさつから、「鳥海」と「あけぼの」はある意味で表裏一体の関係になっていたことがうかがえる。


関連タグ

上越新幹線 秋田新幹線 寝台特急

鳥海(艦隊これくしょん) 曙(艦隊これくしょん)

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