二階堂盛義(?-1581年/?-天正9年7月23日)は、日本の戦国時代の人物である。
概要
妻は伊達晴宗の長女・お南の方(おなんのかた)。
黒川城城主・蘆名氏と交戦していたが、息子の盛隆を人質に出し和睦する。
1574(天正2)年に蘆名盛氏の嫡男・盛興が早逝した事で、その後室の婿として
盛隆が蘆名氏を継ぎ、二階堂氏も蘆名氏の力を借りて、勢力を拡大していく。
やがて、1581(天正9)年に盛義が没し、息子・盛隆も3年後に殺害されてしまい
他の子らも既に亡くなっていた為に事実上断絶した二階堂氏の領地は
家臣の求めにより、お南の方が守る事になる。
1589(天正17)年、須賀川城はお南の方の甥である伊達政宗に攻められて落城する。
お南の方は自刃しようとするが、政宗に救出され厚遇される。
ひょえー!真の概要じゃ!
正直なところ、史実の彼はドが付く程マイナーである。
余程、日本史を深く勉強した人でなければ名前すら聞いた事が無いかもしれない。
だが天は、っていうかコーエーはそんな彼を見放さなかったのである。
これ。これである。これが二階堂盛義である。
特筆する様な事がない彼に、コーエーは『信長の野望・蒼天録』で
こんな特筆する様な事だらけの、小島よしおにクリソツな三枚目顔のグラフィックを与えてしまった。
無論、このインパクトのある顔を放っておく者はおらず、即座にAAは作られるわ、それのサイズが丁度良かったからか
口や目(!)にエビフライを度々ブチこまれるわの大ブレイクを果たした。
しまいには、当のコーエー自身が太閤立志伝Ⅴ(PS2版)の説明書のミニコラムで「ひょえー! 敵にも大筒がー!」とやらかす始末。
一時期は、二階堂盛義でググると検索候補に「二階堂盛義 AA」が真っ先に出てくる有様であった。というか、今ですら2chのコーエースレでは「二階堂=顔芸と称されるグラフィックの武将」の意である。
天国の彼は泣いているかもしれないが、これもまた人生であろう。
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