概要
諸説あるが、そのルーツは日本真言宗の開祖空海上人が、晩年に高野山の奥地(現在の「奥の院」)に石室を設けてそこに籠り、そこで修行を敢行して息を引き取ったことに由来するとされる。
遷化(=死去)から数ヵ月後に弟子たちが空海の遺体を確認したところ、腐敗もなく生前の姿そのままであったことから、「上人はまだ生きておられる」という信仰が生まれ、その信仰がめぐりめぐって修験道などの山岳信仰の要素も取り入れ、完成されていったと考えられている。
主に僧侶が土中の深さ3メートルほどの穴に入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した者が即身仏となる。
まず穴に入る前に山に分け入り、木食修行といういわゆる穴に入るための準備を行う。これは米や麦といった穀物を絶ち、木の実や木の皮などを食べて命を繋ぎながら体の水分や脂肪を落とすというもの。
木食修行を終えると穴の中に入り(土中入定と呼ばれる)、息絶えるまで鉦(かね)を鳴らしながら経を読み続ける。そして鉦の音が消えてから数カ月ののち、土中から掘り起こして法衣を着替え直させ、即身仏として供養する。
そのあまりの苦行に途中で断念する者も多かったという。
ちなみに似たような言葉に「即身成仏」があるが、「即身成仏」は生きた状態で悟りを開き仏になるという意味のため全くの別物。
正式に現存が確認されている即身仏は、全16体存在し、内10体は山形県の湯殿山周辺に集中している。湯殿山は古くから東北における山岳信仰の中心地であった。
最後の即身仏は明治時代の仏海(ぶっかい)上人とされている。
現在は法律の関係上、即身仏になることは不可能に近い。