概要
自然信仰の一種。
古来より山は世界各地で精霊、神々、魔物などの住む場所と信じられてきた。
これは山岳地帯の厳しい自然環境、また山容の雄大さに対して抱く畏敬や、食料や水、木材、鉱物などの産物という山からの恵みへの感謝の念などから生まれた考え方である。
さらに山地は、自分たちの祖先霊のすみか、天と地を結ぶもの、宇宙そのものなどと信じられていた地域もあった。
それ故に山は修行・祭り・啓示・託宣などがなされる場所でもあった。
こうしたことから山頂や山麓などには、祭場・寺社・祠・墓などがつくられ、宗教職の者や巡拝者が訪れる事も多かった。
日本の山岳信仰
その神霊は農民たちには水田と稲作を守る「水分の神」(みくまりのかみ)や祖先霊とされ、山中の猟師たちには獲物を授けてくれる女神として扱われるようになっていた。
農民たちの山の神の祭祀はやがて神道に引き継がれ、村の背後の小丘を神の居所として山麓に祠をつくって祀る神社型の祭祀となっていったのである。
奈良時代には役小角などのように仏教や道教の影響を受けて入山修行をする者も多かった。
そして最澄や空海などにより山岳仏教が提唱されるにつれて山岳寺院が作られ天台宗や真言宗などの密教僧たちの修行道場となっていった。
こうした密教僧のうち、とくに験力を修めた者は「修験者」や「山伏」と呼ばれた。
やがて古代末期頃になると、修験者たちは『修験道』とよばれる新たな宗教を作り上げていく。
近世になると、一般庶民たちも講社という各地の民間組織を利用して登山をするようになり、江戸時代には観光の目的である程度の山道が整備された山へ登る者も多かったとされる。
明治時代に入ると政府は宗教の明確化のため『神仏分離令』を発令。
神道か仏教か曖昧なものが廃され修験道は一時的に活動を停止させられる。これにより廃絶させられた伝承も少なくなかったが、修験者たちの熱心な嘆願により、各仏教団に所属する一宗派という形で再び活動を認められるようになった。
なお西洋から近代登山の概念が導入され、日本全体ではスポーツや青少年教育、レジャーを目的とした登山へ移行していく。
第二次世界大戦後、修験道教団の一部は一般の宗教法人として各自独立していった。
山岳信仰のある主な地域や山
など
カイラス山など
アンデス山脈など
オリンポス山など
日本の山を司る主な神
- カナヤマヒメ…日本神話において鉱山を司る神