曖昧さ回避
人物
新刀初期に活躍した堀川派の開祖。本名は田中國廣で、俗名は田中金太郎。
生1531年(享禄4年)-没1614年5月26日(慶長19年4月18日)
元々は、日向国(現在の宮崎県)で伊東家に仕える武士であったが、伊東家の没落後は各地を転々としたのち、京の堀川に移住し、『堀川国広』と名乗るように。
堀川に定住する前の刀は「天正打」・「日州打」と称され、末古刀に分類されるものが多い。俗に「堀川物」と称される刀は堀川に定住後の作風が変化したもの、または定住後にとった門下一派が鍛刀したものを指す。
また、号のない銘国広の刀全般を指して「堀川国広」と呼ぶ。
土方歳三が愛用した脇差が有名(真贋不明)。 (wikipedia参照)