概要
沖波は、夕雲型駆逐艦の14番艦。艦名の由来は、その名の通り海岸沖に起きる波。1943年12月10日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。
1944年2月10日に、第二水雷戦隊第三十一駆逐隊に編入された。2月26日、朝霜、岸波とともに宇品を出港し、グアムへ移動する第29師団の陸軍兵士と装備品を乗せた安芸丸、東山丸、崎戸丸の3隻の優秀貨客船による『松輸送』に従事する。船団は2月29日にアメリカ潜水艦トラウトの攻撃を受けて崎戸丸が沈没したが、朝霜の爆雷攻撃によりトラウトを撃沈した。船団はサイパン島に立ち寄った後、グアムに進出した。
5月14日からは前進根拠地のタウイタウイ方面で対潜警戒に従事。この頃、ビアク島を巡って攻防が繰り広げられており(ビアク島の戦い)、日本海軍は渾作戦を発動してビアク島救援作戦を展開していたが、過去二度にわたる作戦は目的を達しえなかった。そこで、戦艦大和、戦艦武蔵なども投入して上陸船団撃破と機動部隊の誘い出しを図る事となった。沖波は第二水雷戦隊旗艦の能代(軽巡洋艦)および駆逐艦島風、朝雲とともに、大和を主軸とする攻撃部隊の護衛のためタウイタウイを出撃したが、攻撃部隊はタウイタウイ出撃直後にアメリカ潜水艦ハーダーに発見された。これと同時に大和もハーダーの潜望鏡を発見し、沖波はハーダー攻撃のため部隊から分離した。ハーダーはこの一週間の間にタウイタウイ周辺で水無月、早波、谷風の三駆逐艦を立て続けに撃沈しており、今回も沖波の真正面から魚雷を発射した。二つの爆発音が聞こえ、ハーダーは沖波を撃沈したと判断した。だが、沖波は魚雷をかわしており逆に爆雷攻撃でハーダーを追い払った。
10月31日、沖波は多号作戦第二次輸送部隊に加わってマニラを出撃した。翌11月1日夕刻、輸送部隊はレイテ島オルモック湾に到着して兵員や軍需品の揚陸を開始した。揚陸作業中、沖波は霞と組んでオルモック湾の南西方向を警戒した。11月2日、輸送部隊はP-38とB-24の攻撃を受け、輸送船能登丸が沈没した。輸送部隊を指揮する第一水雷戦隊はこれを見て、同日、部隊を出港させた。11月4日朝、輸送部隊はマニラに帰投した。沖波はマニラで次期作戦に備えて待機したが、11月13日に第38任務部隊の艦載機がマニラを空襲。朝からの波状攻撃により、軽巡木曾などマニラ在泊中の艦船は次々と被害を受けた。沖波もマニラ湾にて攻撃を受け、大破着底した。
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