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朝顔(駆逐艦)の編集履歴

2016-03-14 13:40:40 バージョン

朝顔(駆逐艦)

あさがお

大日本帝国海軍の駆逐艦の一つ。

概要

若竹型駆逐艦の5番艦。

日米開戦時、外洋航行性能に劣る樅型(準同型艦)は大部分が哨戒艇や雑役船に転籍していたが、若竹型は多くが駆逐艦籍に残され、不向きな船団護衛に従事した。この際、朝顔は魚雷発射管と主砲1つずつを機銃座に変更している。太平洋戦争中は計98回の護衛活動に従事し、若竹型で唯一終戦時まで生き残った。


詳細はWikipedia参照



艦歴

1922年

3月14日

起工。

11月4日

進水。進水時の名称は第十駆逐艦。

1924年

4月1日

名称を第十号駆逐艦に変更。

1928年

8月1日

計画名ではなく艦名「朝顔」が与えられた。(若竹呉竹早苗早蕨夕顔芙蓉刈萱も同様)

1941年

12月8日

日米開戦。船団護衛に従事。

1944年

1月24日

艦首断裂して漂流中の天津風を救援に向かい、サンジャックを経てサイゴンまで曳航。

7月9日

海南島三亜海岸で台風のため座礁。9月25日に離礁に成功。

1945年

4月1日

呉鎮部隊呉防備戦隊に編入し、瀬戸内海にて機雷監視任務に従事。

8月15日

呉で終戦を迎える。

8月22日

舞鶴港に回航途中、関門海峡六連島灯台沖で触雷し大破して浸水着底。

11月30日

除籍。1947~48年にかけて、日本サルヴェージにより浮揚解体された。

諸元

基準排水量:820t

全長:83.8m

全幅:8.08m

機関出力:21,500馬力

最高速力:時速35.5ノット

乗員:110名

兵装:12.0cm単装砲×3

    6.5mm単装機銃×2

    53cm連装魚雷発射管×2


関連タグ

駆逐艦 若竹型

若竹(駆逐艦) 呉竹(駆逐艦) 早苗(駆逐艦) 早蕨(駆逐艦) 夕顔(駆逐艦) 芙蓉(駆逐艦) 刈萱

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