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2012年のアルビレックス新潟【前】の編集履歴

2016-05-13 22:46:48 バージョン

2012年のアルビレックス新潟【前】

にせんじゅうにねんのあるびれっくすにいがたぜんはん

2012年のアルビレックス新潟【前】とはJリーグディビジョン1に属する小さなサッカークラブに起こったロクでもない出来事である。

運命の日

2012年12月1日、Jリーグも残すところあと一試合、既に優勝チームは第33節の時点でサンフレッチェ広島に決定しておりあとはJ1残留争いを残すのみとなった。この日までのアルビレックス新潟の成績は9勝10分14敗勝ち点37得失点差は-8(得点25失点33)でJ2降格圏内の17位というズタボロの成績ながらまだ残留の可能性を僅かに残している。どうしてこんなロクでもないことになったのか、それは1月から始まっていた。


1月

2012年1月アルビは得点力不足に悩んだ前年を踏まえてガンバ大阪からFW平井将生選手を期限付き移籍で獲得、また前年度に選手層の薄さで苦戦したのを踏まえて鹿島アントラーズからMF小谷野顕治選手、韓国人大学生でユニバーシアード国際大会代表のMFキム・ヨングン選手の加入が決定。また、新人としてユースからはDF西村竜馬選手が昇格、桐生第一高校所属でU-18日本代表に選出されたFW鈴木武蔵選手を獲得すると即座に韓国人大学生DFであるキム・ジンス選手、ジュビロ磐田からDF大井健太郎選手が新たに加入し、MFに京都サンガから中村太亮選手、新外国人選手としてアラン・ミネイロ選手が加入。そしてそして、FWにアルビレックス新潟シンガポールからブルーノ・カスタニェイラ・順一選手も加入しさらに前年度ロスタイムで失点しまくったため防御力アップのためにドイツから矢野貴章選手を買い戻しこれまでにないペースで選手が加入、この時は史上最強のメンバーなんていわれたりしてた、ただこの大量獲得が後に悲劇を起こすとは誰も予想していなかった。


開幕~そして監督辞任まで

史上最強と言われるほどのメンバーを揃えたアルビであったが開幕からとにかく得点が出来ない、PA内に突入したとしても決定力を欠き、僅差で敗戦をするもどかしい内容が続く。

そしてついに5月19日アルビレックス新潟史上最悪の試合、そして黒崎アルビ終焉の試合が始まろうとしていた。


悲劇の90分VSジュビロ磐田

2012年5月19日、今日はまさしく史上最悪の試合になる。

アルビレックス新潟のフォーメーションは4-4-2メンバーは左から

GK 東口順昭

DF 金珍洙 石川直樹 鈴木大輔 内田潤

MF 小谷野顕治 本間勲 菊地直哉 藤田征也

FW ブルーノ・ロペス 矢野貴章


試合はいきなり前半7分にセットプレーで生じたルーズボールをDFチョ・ビョングク選手に叩き込まれると前半14分には絶対にフリーにしてはならないFW前田遼一選手をドフリーにした結果、

見事なカウンターを食らい0-2。

この時点で今季2点以上取ったことのないアルビの勝利はほぼ消滅、ともかくこの時点で落ち着く事が必要だったが、落ち着いていられない大事件勃発、前半22分チームの精神的支柱であり、この試合ディフェンスラインを統率していたDF内田潤選手が負傷交代という夢であってもらいたい事態が発生。そして前半ロスタイムには左SBのキム・ジンス選手が2枚目のイエローカードを食らい、守備が根底から崩壊。後半開始時に矢野選手に代えて鈴木武蔵選手を投入、しかし後半3分に内田選手の穴である右サイドを完全に崩されるとからMF小林選手に3点目を決められる。一応アルビも反撃をしており後半18分には鈴木選手の積極果敢なプレーが功を奏し相手のオウンゴールで2点差に詰め寄るが、今のアルビに追いつく力は無く、ここからはフルボッコ。ジュビロは丁寧に丁寧にアルビの弱点を突き続ける。

後半23分MF松浦選手のクロスがアルビゴールにそのまま流れていき1-4、後半33分にはDF駒野選手からパスを受けたMF松浦選手がアルビの左サイドからクロス、マークを引っぺがした前田選手が軽く合わせ戦意喪失した東口選手の側を転がっていき1-5、そして後半46分、カウンターからMF山田選手がPA内へ、ドリブルで突入しフェイントでDF菊地選手の逆を突き東口選手をKOさせる6点目のゴールとなり1-6で試合終了。


2日後の5月21日に成績不振の責任を取る形で、黒崎久志監督と西ヶ谷隆之ヘッドコーチが辞任することが発表される。なお、次の監督が決定するまで、アルビレックスユースを指導していた上野展裕(うえののぶひろ)氏が監督代行としてチームを指揮することが決定。


そして5月22日、負傷退場した内田潤選手の怪我の全容が発表され、右ひざ前十字じん帯、内側側副じん帯、外側半月板損傷で全治8ヶ月の大怪我だったことが判明。

精神的支柱に監督まで欠いた状態でアルビレックス新潟はJ1に残留できるのであろうか。


どうしてこうなった

以前の左サイド

2011年、厳しい戦いをしていたアルビを残留させた原動力、それが左サイドの若手コンビである。実は以前も左サイドがボロボロになった時期があったが、その際に急成長を遂げて18歳ながら不動のレギュラーになったのが酒井高徳選手であり、その酒井選手とコンビを組んだのが21歳のチョ・ヨンチョル選手で、二人はその若さと気持ちの強さでチームの攻撃を牽引、言うまでもなく二人ともオリンピック代表に選ばれチームはその裏で選手を引っこ抜かれて苦闘していた。

そし2012年になりヨンチョル選手は1億円の移籍金を残して大宮アルディージャに移籍、とここまではサポーターも予想していた、がまさか酒井選手までもがドイツにレンタル移籍で旅立つなんて予想していなかった、そして左サイドのレギュラーが丸ごといなくなりフィールドにとても修復のできない大穴が開くなんて誰が考えられるか。


大量獲得の落とし穴

黒崎監督

本題の前にまず黒崎監督についてであるが、若手選手を潰すような起用は絶対にしないという監督である。つまりは代表戦に選ばれた若手選手はどんなに調子が良かろうが次の試合は休ませるというもので、これは黒崎監督が現役だった1995年、黒崎監督はリーグ戦、代表戦で合わせて49試合とフル稼働し、翌年に疲労の蓄積で思うようなパフォーマンスが出来なかった経験から来ている。

実際そのおかげで酒井高徳選手は21歳にして日本屈指のSBに成長し、ヨンチョル選手は韓国代表にまで登りつめたのだから。

逆に怪我明けの選手は試合勘を戻すために起用する頻度が高い。

つまり、酷使の結果、ガタガタのパフォーマンスで中心選手からの信頼を削るようなことになりチームの基盤を揺るがすくらいなら、試合の中で一定の割合で仕事をさせたと感じさせる事を優先させる。また、明らかに動きが悪くても頑固に変えずに使い続けることで、チームとしての連携をより深めることも可能ではある。

ただそれで勝てるかどうかは別である、代表戦に選ばれた選手をターンオーバーし選手層の薄さがあだとなりリーグ戦で惨敗、それならばとターンオーバーしても戦線が維持できるように2012年、チームはかつてないほどの選手獲得を決行する。

結果

いち早く左サイドでレギュラーの座を獲得したのはキム・ジンス選手、監督は彼を基本的には固定し、サイドハーフの選手を流動的に入れ替える采配を執る。がしかしそれだけ入れ替えるという事は新加入選手が試合を通じて選手間の連携を深めるのが難しくなるという事であり、左サイドの連携不足を突かれ、その結果前線の選手がそのフォローに回ることになり攻撃に割く選手も時間も足りなくなる。そうしている間に連携のヒビが徐々にフィールド全体に広がっていく、相手からしたら中央及び左サイドを固めさえすれば少人数であっても新潟の左サイドは易々と突破できる。黒崎監督は人員を入れ替えることで対処しようとしたが、いかんせん試していないメンバーが多すぎて...大量獲得と黒崎監督のスタイルは決定的に合わなかった。こういった場合左サイドの選手を補強すべきだったが、何にもしなかった。結果ジュビロ磐田戦でDFリーダー内田選手の負傷とキム・ジンス選手の退場が重なった結果守備の意識までもが崩壊、1-6という大敗を喫することになり、黒崎監督は辞任する。


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