概要
大東亜戦争において、その開戦直前から解散直前まで第一水雷戦隊旗艦を務めた阿武隈と、その最期を看取った部下の第七駆逐隊、潮のカップリング。
史実概略
阿武隈、潮共々駆逐艦建造で東の雄とされる「浦賀船渠」にて建造された。
開戦前の一時期、潮が司令駆逐艦を務める第七駆逐隊は阿武隈率いる第一水雷戦隊に属していたことはあったが、開戦時に7駆は第一航空戦隊のトンボ釣り部隊として所属し、一度阿武隈とは離れている。
1944年1月の編成替えで7駆(当時の編成は漣、曙、潮)は連合艦隊附属から第五艦隊第一水雷戦隊に異動となる。その移動中に漣を失い、スリガオ海峡海戦に至るまで7駆は曙・潮のペアで阿武隈指揮下に入ることとなる。
スリガオ海峡海戦と阿武隈・潮
西村艦隊が退却中に志摩艦隊は合流。その折、旗艦那智は退却中の最上が停止中と誤認し衝突。
この時点で阿武隈も負傷しており、木村昌福一水戦司令以下司令部は霞に移乗。
志摩艦隊は最上の護衛に曙を、阿武隈の護衛に潮をそれぞれつけた。
その翌日、再度の敵襲により阿武隈は戦没し、潮がその最期を看取り、乗員を救助した。