永世名人(十七世名人)の資格保持者。2012年から2017年まで日本将棋連盟会長を務めた。
14歳でプロ入りし(史上3番目の若さ)、21歳で名人位を奪取した(史上最年少)。
1991年には棋聖・王位・竜王・王将の四冠に輝く。
若き羽生善治の台頭の前に立ちはだかり、1995年には王将位を防衛し、羽生の七冠独占を一度は阻止した。しかし羽生はその後、手持ちのタイトルを尽く防衛し、ついに1996年2月14日、王将位をストレートで奪われ、七冠独占を達成されてしまった。
独創的かつ芸術的な手順で相手玉を詰ませることから「光速の寄せ」「光速流」と呼ばれる。